2008年7月30日水曜日

2ヶ月の総括

こっちに書きこむことは、少なくなってしまいました。
いつものように一人で、考えるために書いています。

そう、やっと内科を卒業。今はついに本番の救急のローテーション。また病院は変わって、MGHという病院にやってきました。まずは軽症患者さんのくるfast trackから。忙しかった。


とにかくこちらに来て2ヶ月。過ぎてしまえば速いもの。4年間の24分の1が終わっちゃったんだ。どれほど成長したんだろう?評価されてうれしい部分もあるけども、まだまだだと思う。


1. 英語。やっぱり。いつもいつもこれを書き続けています。いつまでも最大の鬼門。やはり患者さんの問診で肝心なところを聞き逃している可能性もあるし、ディスカッションでどうしても尻込みしてしまう。わかっていても出だしが遅れる。歯がゆいんだよね。どうしたらいいのだろう。僕はもともと社交的ではないので、会話に花をさかせるわけでもない。。。積極性が失われるのが一番良くない。僕が去年沖縄で楽しむことができたのは、恥を捨てた前向きさだったはず。
-->まだ僕はインターン。日本での経験があるというプライドを捨てて、失敗を恐れず、かっこつけず、カンファでも前に座り、どんどん発言しよう。発言しようとする姿勢は、集中力を生む。ひとつひとつの積み重ねで遠くに行けるのだから。沖縄時代を思い出そう。けっしてmedical knowledgeでは負けない。そして間違えたことは忘れないからね。まだここは恥をかいていい場所。
患者さんとの会話はとにかく集中力だよね。仲間、指導医との会話は一つの作戦が。。外人であることの強み、わからない言葉の意味を質問する、これは一石二鳥?


2. 医学知識
これは僕の強み。同期のインターンより経験が長いから当たり前か。。とはいってもこの武器はいつまでも持っていたい。ただアメリカ人は良くできる。しかも口がうまいから、もっとできるようにみえる。ここは誰にも負けたくないし、プロとしては常に磨かなければいけない。日々の症例を復習するとともに、すこしづつRosenを読もう。


3. 研究
僕はアカデミックスに興味があるし、せっかく研究の盛んな施設にいる。アメリカに来てただ臨床だけではもったいない。ただ今はアイデアを模索中。救急自体の経験はあまりないし、せっかくなら素晴らしい先生と、自分の興味のある分野で研究をしたい。今年中にはそんな人と分野を見つけて、取りかかりたいと思ってます。ぜったいにやるぞ!
計画その2は、うちの部長先生が6年前に出した救急のハンドブックの第2版をつくれたらいいなとも思っています。夢のまた夢ですが。


4. ヒト
とのつながりがまだ薄い。ここに来たときの目標のひとつはこのつながりを広げること。まだどんなヒトがいるのかわかりませんが、素晴らしい先生がかならずやいるはず。そして同期とのつながりを深めること。僕が日本に帰ったとしても、このネットワークは人生の財産になるはずです。
ただそれを見つけるには、少し背伸びして、怖がらずにあたることです。モチベーションはあっても、引っ込み思案で、英語のせいで、縁を築けなかったらもったいない。常にチャンスを求めて、あたってくだけます。


毎日頭がボーッとするくらい疲れますが、がんばろう!
Pain is inevitable. Suffering is optional.

2008年7月9日水曜日

内科に苦戦。

予想通りの大苦戦をしています。まあ当然か。最初からうまくいくはずはないよね。


もともと僕は内科は苦手なようです。外来患者が好きで、大雑把な僕はあまり病棟管理が苦手、細部まで気が回りません。いろいろなことを見逃しているようです。言葉の問題もあるしね。シニアのレジデントにいろいろ指摘されて、かなりスーパーバイズされています。まだ信用されてないのかな、と感じてしまいます。


さあ、なにが足りなくて、どう改善したらいいのだろう。どうしたらここでもっと学ぶことができるだろう。
1、やはりしっかりとしたHistoryとPhysicalをとること。やはり内科はかなりディテイルまでこだわります。これも鑑別をしっかりたてながら、pertinentなことは絶対におとさない。本当に基本の基本。

2、もっと自分で考える。救急で働いているときは、自分ですべて考え、自分で診断する。でも内科入院になるとすでにある程度の診断とプランがたってから、僕らのところに来ます。僕はこれが苦手。最初から診たい気持ちが強くて、すでに誰かが診た患者になってしまうとおろそかにする傾向があります。もっと一から鑑別考えなければね。
そして異常所見から逃げずに、プロブレムから逃げずに、鑑別を考える。患者をみる。

3、病棟での患者の状態をしっかりみる。救急外来とは違います。長いスパンで、自分の介入に対する反応をしっかりつかまなければいけません。その評価、そしてどうするのか。

4、プレゼン。その時々、そのアテンディングによって求められるものが毎回違います。言葉の問題以上に練習不足なのでしょう。求められるものを自分で考え、そのフォーマットに従って、伝えたいですね。そしていつもあがってしまいますが、もっとリラックスしよう。


その日その日をこなすだけになりがちです。事務仕事をこなすだけにアメリカに来た訳ではありません。学ぶためにきたんだよね。自分に負けずに仕事をします。



2008年6月27日金曜日

最後の休日。Pain is inevitable. Suffering is optional. そして岡本太郎

さあ、明日から4年間の研修がはじまります。研修医の生活をまたゼロから始めます。眠く、つらく、でもとっても成長する4年間になるでしょう。


今日は最後の休日をもらいました。明日からに備えてじたばたしながら、休んでいます。好きではない(救急の研修医はみんな内科が嫌い。)内科のしかも当直スタートということで不安が強いですが、どんと来いという気持ちもあります。ここでいつもながら、書きながら自分の気持ちの整理をしたいなと思います。


ついに夢がかなったんだもんね。医学部に入ったときには(そのころ僕は英語は全くだめだった)、遠い遠い夢だった。現実感が無さすぎてただの憧れだったよね。それから大学4年最終学年になって、学生生活をだらだら過ごしている自分が嫌になって、そこで岡本太郎の本に出会い、すこし人生が変わりました。つねに人生を燃やす、危険な方に賭ける、のです。そして留学に向けて勉強を始めました。そしてさらなる失敗をたくさんして、紆余曲折、卒後5年目でアメリカの病棟にたつことができます。たくさんの人に迷惑もかけ、援助をしてもらい、すばらしい出会いもありました。ここまで来れたことは、本当に感謝しなきゃいけないよね。


長い長い4年になるでしょう。でもやることはその日一日だけに集中すること。走ることと同じように。遠くの上り坂のその先をみるのではなく、一歩一歩のストロークに集中して。そういえば村上春樹の本にこんな言葉がありました。Pain is inevitable, suffering is optional. マラソンについての言葉ですが、これからの研修生活も同じでしょう。絶対に肉体/精神的に厳しく、睡眠不足でしょう、それは避けられない。でもそれをどう受け止めるか、苦しくて走るのをやめてしまうかは自分次第。。そうとってもつらいかもしれない、でも死なないで、とにかく走りきりたいなと思う。


最後に岡本太郎の言葉で。僕に最も足りないもの。すぐに他人と自分を比較してしまう。そうじゃなく、深山を両翼を広げて孤独に飛翔する鷲のようになりたい。
「人生は、他人を打ち負かすなんてケチくさい卑小なものじゃない。いちばん大切なのは、自分自身に打ち勝って、自分の生きがいを貫くこと、これがいちばん美しいことなんだよ」


2008年6月23日月曜日

ガスを抜く

ひさしぶりにこっちの日記を書こうと思います。新しい日記はすこしオフィシャルな感じで研修についての真面目なことを(書けていないけど)、こっちは、自分の感情を整理するために、書く、というのが目的なのです。


ボストンに来てはや3週間。オリエンテーションもはじまり、14人の同期にもあい、毎日のオリエンに飽き、歓迎会にすこし疲れてきてます。僕は比較的長く一人の時間が必要なので、こういう生活は疲れてしまいます。まあだれでも入りたてはそうだよね。


そして今週金曜日からは、ついに3回目の研修医生活が始まります。それも異国の地で。。。去年までもアメリカの病院だったけど、あっちはすこし甘かったし、同期は日本人だったからね。もう言い訳はできません。毎日おなかが痛くなる日々です。


いろいろな不安があり、恐怖を感じ、ストレスとなっているようです。
1、なによりも言葉の不安。もともと人見知りでだし、社交的ではない自分。ましてや母国語ではないので、より腰が引けてしまいます。病棟に出てからも、患者さんとはokayだと思うけど、医者どうしでミスコミニケーションがあったらと、怖くなってしまいます。
→ まあ考えすぎてもしょうがないよね。失敗は成功の母だし、全く英語がだめだった僕がここまで来れたんだから、まだ行ける気がする。すでにまあまあしゃべれるし、我慢してかつ積極的でいれば、もっと伸びるよね。そして、自分のことばかり考えないこと。30にもなって情けないですが、まだ自分のことばかり考えてしまいます。同期はどう思っているだろうとか、英語がだめだと思われていないかとか、つまらないことばかり。そんなことより周りに意識を向けて、働きかけないとね。そうすれば恐怖もとれるはず。


2、始まる研修医生活。また1年目のヒヨッコからです。日本のそれも厳しかったですが、こちらももちろん厳しいようです。心身ともに疲労し、アメリカ人でさえ一回は泣くようですから、僕も必ずやおちこむでしょう。でもそんなものだと思わなければね。あまり期待はせずに、でも楽しんで(寝れないことも、朝早く起きることも)、そして困難は乗り越えなければいけないことを肝に銘じて、一日その日だけをみて働きたいですね。


去年も沖縄生活がはじまった時は、自分がそこで英語を使って働いて、卒業することなど想像ができませんでした。でもできたんだよね。それも楽しく。これは周りの人々に非常に恵まれたことが大きかったでしたが、自分の気持ちをとにかく前向きに積極的にできたことが良かったんだとおもいます。こっちでも格好つけずに、どんどんチャレンジしていきたいと思います。


張りつめた日々ですが、書くこと/走ることでガス抜きです。


2008年6月11日水曜日

ボストン、韓国、レバノン

ボストン生活はじめました。

すでに6日ほど経ち、やっと時差ぼけも抜けてです。
新しい生活を立ち上げなければいけませんので、事務仕事が大嫌いな僕もぶーぶーいいながら妻とやってます。

早速車が決まりました。メーリングリスト(ボストン在住の研究者の)を通じて、韓国からの大学院生からJeepを買うことにしました。結構安く買えたし、いい人だったし、今のところは満足!これから保険、ナンバープレートなどなどしなくてはね。

そして家もやっと決まりました。これはレッドソックスの本拠地Fenwayにある蔦のからまった雰囲気のあるアパートメントです。大家さん(レバノン系アメリカ人)が僕らを気に入ったらしく、僕らも家を気に入り、早速決めてしまいました。これもボストンにしては安くいったと思います。というか、ボストンの家賃は東京都心並みに高い!!

ボストンが国際的な街だとほんとに感じます。どこの馬の骨かもわからない外人同士でどんどん個人売買が進んでいきます。面白いよね!

さあ、来週からオリエンテーションが始まります。今週が最後のお休み。ボストンはCelticsがNBA Finalまでいってもり合ってますが、僕らはRed Soxを応援しにいってきます。

2008年6月3日火曜日

出国前夜

海軍病院を卒業してから2ヶ月。いつもいつもあっという間でした。
これといったことはせず、友人に会ったり、家族と犬とゆっくりとした時間をすごせてよかったと思っています。試験勉強は間に合わずに、3ヶ月伸ばすことにしました。研修医1年めにうけるという無謀な挑戦をする羽目になりました。。。


さあ明日、日本を発つこととなりました。海外に住むこと、働くことは初めてです。沖縄に行くときもそうでしたが、大きな不安のなかにいます。

①外国で生活すること自体への不安:native languageでない環境で、異文化に住むという体験。家を探し、家財道具を揃え、車を買い、銀行口座を開くなどなど(日本でだって苦手なことばかり)。僕も変化に心をときめかせるくせに、近くに来ると腰が引けてしますのです。もちろんうまくいかないことだらけでしょう。たまに上手くいく程度だと思って、妻と力を合わせて楽しもうかと思います。これも素晴らしい体験です。

②新しい病院:また研修医1年めからです。ピラミッド構造の最下層、外国人は僕だけ。シチュエーションは完璧です。システム、言葉など慣れないことばかりでしょう。しかし、臨床で留学した先人たちが通った道だよね。それに、ずーとやりたかったことをついにかなえたのですから、素晴らしいことなのです。いっぱい失敗して、まだ見ぬ同期15人で力を合わせて、素晴らしい4年間にしたいと思います。comfort zoneから出て、背伸びをして、そうすると成長するしね。今年は欲張らずに、首にならないこと、健康であること、目の前にあることを一つ一つ丁寧にやることを目標にします。


親友と握手、家族と挨拶、仏壇に報告、携帯は解約、家の片付け、荷物のpackingと自分を少しずつ身軽にして、しばらく帰ってこないんだなと実感がでてきました。昨夜は横浜の花火大会で、あまりきれいなので、とても感動してしまいました。感傷的になっています。

この個人的な日記は引き続き書こうと思います。また別に少し仕事っぽいやつも始めようかと思います。すこし野心をこめてです。
http://d.hatena.ne.jp/KoheiHasegawaMD/

とにかく行ってきます。

2008年5月10日土曜日

ローテーション発表!

さあ、渡米まで3週間ほどとなりました。
楽しみにしていたことなのに、カレンダーを見るとその事実に戦慄します。やはり変化は怖いよね。

さあ、今年1年のスケジュールが決まりました。救急のレジデント(ほかの科もそうですが)、とくに一年目はいろいろな科を回ることになります。米国の救急は赤ちゃんから妊婦、眼科疾患から老人までなんでもみます。ということで多くの科を回るのもいい経験です。

僕はブリガム&ウィメンズ病院の内科から始まるようです。いきなりbest of the bestのようなところからです。緊張します。そして4週間ごとに違うかを回っていきます。次はMGHのER、そして産婦人科です。

失敗を恐れず、多くを吸収して、人とのつながりをつくれたらと思います。