2007年11月28日水曜日

弱点露呈。

帰っていてからもいろんなことがあります。
結構忙しくしていました。

整形外科のローテーションはそんなに大変ではありません。

今日僕のmentorからまあまあショックなメールがありました。
おそらくMaryland大学のプログラムディレクターと彼がメールでやり取りしていたと思うのですが、Koheiは英語力が心配だ、と書かれていたそうです。あれで患者をさばけるのか、との疑問です。residentとしてとるにはHigh risk, High potential typeだとのこと。High potentialと言ってくれるのは嬉しいですが、そんなにHigh riskかなー。長い目で見てほしいとも思うんだけども、まあそう思われてしまうことは問題です。優秀な候補者はいくらでもいるのだから、High Riskなものを進んでとることは責任ある人はなかなかできないよね。他のプログラムでも同じことを思っているでしょう。これは大問題です。

そんなにその人との面接で失敗したとは思わなかったんだけど、あっちは僕のカジュアルな会話力に不安を覚えたみたいです。たしかにここは僕の弱点です。他の面では自分の良い面をアピールできて、それはかなり評価されています。ただしこれは致命的、でも改善できる数少ないものの一つ。次の面接まで6週間ほど。できる限りのことをするしかありあません。対策を考えなきゃ。英語の環境にしばらくいてもスピーキングは全然伸びません。

1.積極性をもってもっと話す。たしかに僕は人見知りだし、そんなに喋りません。でも練習だと思って、ここでは失敗してもいいところなのだから、どんどんしゃべらなきゃね。

2.完全に英語の頭にする。折角恵まれた環境をフルに使わなきゃ。インターン、家でも英語を徹底。

3.基礎力をつける。いくら話す機会があってもこれがないと伸びません。僕は逃げてきただけにこれが弱いです。一般会話のパターン、語彙を増やさなきゃいけません。自分で勉強ですね。とりあえず本を買ってきました。買っただけで安心してはだめですね。

がんばるぞ!

2007年11月26日月曜日

親友を亡くしました。

医学部で一つ後輩だった彼です。小児科医としてのスタートをきったばかりでした。しかし先週、自らの手で命を絶ったそうです。子供の未来を守る貴重な人材が失われました。

彼は僕を慕ってくれていました。腹を割ってよく話しました。一見、不真面目に見えますが、不器用ながらも自分と向き合う勇気のある男でした。 しかし、彼の苦悩は自らの命を絶つほど暗く深かったのでしょう。

先月、彼からメールをもらっています。精神的に追い込まれ小児科医局を辞めるとのこと。しかし、お互い前に進もうね、とやり取りをしていたのに。僕ももう少し何か出来たのではないかと考えてしまいます。せめてもう一通メール書いていたら。しかし、彼は帰ってきません。誰を責めたらいいのでしょうか。どうしたら、こんな悲劇を防げるのでしょうか。彼の死は海面に現れた氷山の一角にすぎません。

日本の医師は高いプロ意識を持ち、昼夜を問わず、休日を返上して患者のために働いています。ただし若い医師の教育はどうでしょうか。限界なく働く労働者という存在だけではなく、未来の医療を担う存在として教育されているでしょうか。そのシステムはあるのでしょうか。過大な重圧のかかる若い医師を守るシステムはあるのでしょうか。

自分は日米双方のシステムの中で教育を受けています。日本の医師育成は個々の努力に負うところが大です。そのなかで身体的・精神的衛生はほぼ無視されています。一方で、米国では医師卒後教育は第3者機関のもと管理・標準化され、若い医師は労働者としてだけではなく教育される存在とみなされています。 例えば、患者・医師双方を守るために、米国の研修医の労働時間は週80時間以内と決められています。これらを守らない研修プログラムはその認可を取り下げられます。

どちらのシステムが優れているという問題ではありません。ただ、医師個々の努力に過大に負う現在の日本の環境、これではさらなる悲劇を招くことは必至です。同じ医師として、患者・医師双方が幸福になることができるシステムを考え、そして現況を変えていきたいと思います。我々は彼の死を無駄にするわけにはいきません。

2007年11月25日日曜日

ニューヨーカー?

JFKでこれを書いています。
過ぎでしまえばあっという間の4週間。でもいろいろなことがありました。

昨日はNYのマウントサイナイを再度見てきました。Second lookというやつです。実際どんなふうに働いているのかを見るのが目的です。ここには日系人の先生がいます。日本語は全く話せない完全なアメリカ人です。その先生はとてもいい先生。この人のおかげで面接まで行けたのです。面倒みてもらってます。

昨日行った病院はマウントサイナイの関連病院、Elmhurstというクイーンズにある病院。まわりは移民ばかりなので、患者さんは本当に多様。ここで医療をするのは大変でしょうが、ある意味エキサイティング。変な病気もくるからね。

ただここのレジデントは???と思うこともいくつか。僕のプライドが高いからいけないのかもしれませんが、蘇生の現場で?と思うことが。でもニューヨーカーはそれでも主張します。いかにも何でも知っているかのようです。これは僕の東海岸人にたいする偏見なのかな。

この国にはとてつもなく素晴らしい人もいます。桁違いな感じです。僕も憧れます。ただ、そうでない人も非常に多いです。興味深い国です。やはり日本人は平均的に「勤勉」なのかな。それはそれで素晴らしいことだよね。

就職活動は6週間ほどお休み。しばらくは研修生活に戻ります。うれしいです。

2007年11月23日金曜日

ThanksGiving Day

なので今日は全米が休日。感謝祭というやつです。クリスマスに並ぶでっかい休日みたい。
アメリカにきた初期移民のインディアンとの交流とか、収穫に感謝とかいった意味があるようです。
みんな家族のもとに帰って、一緒にTurkey食べるようです。

僕も何もせず、家でボーっとしています。僕は忙しくしている方がいいようです。オマリー家はお父さんが亡くなられたということで、パーティーはキャンセル、NYの実家に帰られました。

明日はマウントサイナイ病院の見学に行ってきます。これで本当にお終い!
他の人たちは明日からのセールに行くそうです。日本の初売りと同じですね。

土曜日にNYから発ちます。早く日本に帰りたいです。

2007年11月22日木曜日

前半戦終了。

ついに終えました。面接前半戦。7個終了です。あっという間ですね。
あとは1月に10個弱。

頑張ったと思います。失敗もあったけども、とにかく少し自分をほめます。
自分のご褒美に、港町ボルチモア名物crab cake sandwithchというカニのハンバーガー。
Dinnerは一人で中華料理(チャーハンと野菜炒め)で祝杯です。チップも少しだけはずみます。

どこに行くかもわからないし、何をしてるのかって思うことも多々。
でもね、1か月頑張った自分は評価できます。悔いはありません。
結果はどうなるかわかりませんが、ベストを尽くし、いい出会いも少しありました。
アメリカはいろんな奴がいます。でもとんでもなく素晴らしい人もいるんだよね。
Mayoのチェアマンとプログラムディレクターには心が動かされました。

来年から最低3年間、もっと長いかもしれませんが、この国で挑戦してみたいと思います。
きっとどこかのプログラムには入れるかと思います。(自信過剰?)
そんな人たちと働いて、ある面で厳しい環境に自分を置いてみたいのです。(もちろん日本で働くのだって厳しいですが。ある意味ではずーと厳しい)
そして将来の日本の医療に貢献できたらいいなと思います。なんとも青い文章です。

お腹一杯で、疲れも出てきました。今日はおしまい。

2007年11月21日水曜日

これで最後

またボルチモアに戻ってきました。小さな横浜、シドニーといった感じです。
前回はオマリー先生と港に来ましたが、もう3週間たったのですね。ずーと前な気がします。
いろんな事がありました。最初の面接なんて3か月くらい前なん気がする。
よくここまで来たものです。自分が英語で面接するなんて昔は考えもしなかった。

あしたの面接で11月は終わりです。
Mayoがあまりによかったので、気が少し抜けました。
でも折角呼んでくれたのだから、しっかりやらないとね。ここに来るかもしれないのだから。
ただアメリカの危険さに疲れてきました。やはりこの国は少しおかしいです。まあ日本はいい国です。
安全な所に住みたいな。

2007年11月20日火曜日

世界のリーダーを育てる

Mayo Clinicとの面接が終わりました。
クリニックとはいっても町ひとつが全部病院みたいな感じ。しかも超豪華です。Miloとかアンディー・ウォーホルの絵が普通に飾ってあります。とんでもないところです。圧倒されました。さすがに常に全米Top3に入る病院です。

プログラムも素晴らしかったです。まずそのChairmanの言葉に朝からしびれました。
曰く「我々のミッションは、患者の利益を常に第一に考えること、そして、世界の救急医学のリーダーを育てること」です。こんなこと本気で言うんですよ。僕はまじでしびれました。日本とはケタが二つ違います。アメリカの中でもこんなこというプログラムはありません。あまりに感動して、緊張してなかったのに、面接では顔がぴくぴくするくらい緊張してしまいました。

プログラムディレクターの女性も素晴らしい人です。こんな人がいるならば、このプログラムはどんどん良くなっていくでしょう。また多様性というものをすごく大事にします。本当に器がでかいんだね、このプログラムは。ここは僕のような外人でもその経験を大事にしてくれるのでしょう。どんな奴からも貪欲に謙虚に学ぶ、その姿勢がこのような医師たちを作るのでしょう。すごいことです。プログラムディレクターの反応もすごく好意的でした。他の面接官で、質問を完全に勘違いしたほかはなんとかやったと思います。ここで働けたらいいな。

街ははっきりいってど田舎です。奥さんが納得してくれるかわかりません。でもこんな病院ならどんな医者でも働きたいはずです。もちろん患者さんもここにかかりたいでしょう。

6か所見てきましたが、ここが一番です。二番目はIndiana Univ。あそこもいいプログラムでした。僕は中西部の人間が好きみたい。東海岸は、日本人の僕にはすこし強烈過ぎます。

さあもう一か所です。Maryland大学。ここも非常に救急では名高いプログラムです。面接は貰いましたが、外国人をとるつもりはあまりなさそうです。いい加減日本に帰りたいな。

2007年11月19日月曜日

ROCHESTER

はるばる来ました。ミネソタ州ロチェスター。
どこそれって感じだよね。僕もちょっと前まで知りませんでした。

とにかく寒くて有名です。
Mayo Clinicという病院でも有名ですが、病院しかない町です(ほぼ)。
でもとにかく金持ちの病院なので、施設はとんでもない。日本でこのクラスの病院はここ50年はまずはできないでしょう。

ここの救急レジデントの面接に来ました。このプログラムは世界のリーダーを育てることを目標としています。その志がすごいよね。すでに多くの外国出身の医師が働いています。2年目のレジデントとして、僕の病院の先輩、S先生もいます。今日初めてお会いしましたが素晴らしい人です。きっと日本の救急医療のリーダーとなっていく人でしょう。僕にその器があるかどうかはわかりませんが(なろうとすれば、チャンスはあるかもしれませんが)、是非このプログラムに入れたらと思います。町は少し田舎すぎますが、レジデントはフレンドリーでいい人ばかり、施設もすごいです。明日何人かのアテンディングと面接です。どんな人たちか非常に楽しみです。まあ自分をぶつけてみます。

昨日、自分を整理したのですっきりしました。明日の面接が楽しみです。
がんばろう!

2007年11月18日日曜日

なんで、僕は、こんな道をゆくのだろう。

少し考えてみようかと思います。たまにはね。とてもとても個人的なことです。
いま歩いている道を確かめてみないと、「僕は本当にこの道を歩きたくて、あそこに行きたいんです」っていえません。自分を偽れません。

僕はもう医師4年目です。もうすぐ30歳になります。言い訳のできないほど大人のはずです。いい加減中堅の医師として、結構何でも出来て、責任もあって、忙しく(楽しく?)働いているはずです。ところが、それほどの実力があるとも思いません。臨床能力を磨くようなしっかりしたトレーニングからは少し離れています。

なんで、わざわざアメリカに行ってトレーニングを受けるのでしょう。わざわざ別の試験受けて、大量の時間とお金とまわりの人の理解に助けてもらって。仕事しないで、英語の面接受けて、こんなことに神経使って。大部分の人から見たら、「無駄」ってやつです。時々、僕もそう思ってしまいます。逆に贅沢とも言えますが。

「こんな道を歩く」一番の大きな理由。正直言って、英語に対するコンプレックスがあったからだと思います。中学から大学まで英語から逃げて生きてきました。一生英語を使わずに生きようと思ってました。でもコンプレックスでした。どこかでこんな自分に克ちたかったのです。英語をペラペラにしゃべっている自分(昔はふつうに旅行ができて、友人としゃべれるくらいのレベルを想像してました。)になりたかったのです。そして医学部に入り、なんかアメリカはいいらしい。アメリカのトレーニングは日本よりもずっといい!なんていう、どこに根拠があるのかわからない噂?他人の評価?を信じました。何も知らなかったからね。始まりはこんなことだったのです。海の彼方の幻想です。はっきりいって日本で研修を受けたって立派な医者になれます。そんな素晴らしい先生をいっぱい知ってます。結局は自分次第なのです。教育的な環境は確かに大事。でも患者さんはどこにでもいます。そこで全力を尽くすか、ちゃんと勉強するかは自分次第なのです。(実はこの考え方が、非常に日本的ともいえますが。アメリカのトレーニングは、どんな「自分」でもちゃんとした医者にするという哲学です。)

こんな思いはいつの間にかに、やらなければいけないことになりました。これをせずには臨終のときに後悔する!という最大のことになったのです。つまり、自分のためにチャレンジをする、ということです。偉い先生にこんなことを話すと「なんだ、結局アメリカ行きたいからだけ?」って言われます。声高らかに「日本の救急のためです!」っていえません。でもね、これは個人的な、僕の人生なんだよね。僕が決めることです。「こんな道」を歩いて、自分がどこに行くかはわかりません。来年本当にアメリカ行けるのかもわかりません。ただ「こんな道」だけど、これは自分が歩きたい道なんです。歩くべき道ではありません。どこに行くかは次に書きます。

「こんな道のさきには」何が待ってるのでしょう。僕は救急(北米型)を選びました。これは日本ではある意味ニッチです。とくに北米型救急は、日本ではまだまだ始まったばかりです。これからは紆余曲折ありながら、日本の医療のダイナミックな流れのなかに揺られながら、ゆっくり普及していくでしょう。現在までの日本型救急と共存しながら。ぼくがアメリカで3年から6年のトレーニングを受けるということ、そして日本に帰ること。その経験をいかせば(日本で頑張っていたってできますが、変わった奴からの経験もなんかの役に立つかもしれません。)、日本の救急になんらかのインパクトを与えることができるかもしれません。微力ながらも力になれるかもしれません。偉くなって教授とかになるつもりもありません。一人のお医者さんで(僕の父と祖父がそうである、そうであったように。基礎研究というぼくにとっての未開拓分野もどこかでやってみたいですが!)、若い人を教えながら、患者さんの役に立ったらと思います。いままでいろいろな先輩にお世話になってきたし、患者さんからも学んできました。その義理を返したいです。(必要があるわけではありません)
ただ、自分の経験を活かせて活躍できるような場所を戦略的に考えていかなければいけません。


「大山は仰ぐべく、大道は行くべし」
スタート地点は自分本位、歩いている道はけもの道ですが、少なくとも大山を仰ぎながら、歩きたいと思います。

真面目なこと書いて疲れました。でもすこしすっきりしました。またがんばろう!

小泉純一郎

この1週間はめまぐるしかったです。
Indianapolis, Hershey, Grand Rapid, New Yorkと5日間で4か所の面接で駆けずり回っていました。かなり最後は疲れがでましたが、なんとかなったかな。

というわけで、今日は休憩。
とはいっても居候の身なので、家では気が休まりません。結局あちこちのカフェをはしごしています。今までの面接のThank you letterを作ったり、たまにはゆっくり本を読んだりといった感じ。あとで月曜日の病院の下調べもしようかと思います。読書に飽きたらね。

あっという間に、5か所の面接が終わりました。この面接シーズンの3分の1が終了です。残りの2か所は来週、約10か所は1月です。少し総括をしたほうがいいかな。面接の反応は?あまり順調とは思えません。もともと楽観的な人間ではないんだけどね。僕の仲間、指導医はまずどこかにはマッチするとは思っているようです。僕もそうだとは思うけども、思ったほどの手ごたえがありません。そんなものなのかもしれませんが。

○ 英語力。心配していた英語力は大丈夫そうです。仲良くなった学生、面接官から褒められます。ただほめられるということが、外人として見られているという証拠という見方もあります。まあ素直に喜んでます。

△ 答え。だんだん調子がわかってきました。長々と答えてはいけません。誰も話なんか聞いてないし、ましてや覚えてません。僕も面接の内容を思い出そうとしても、全然だめです。残るのは印象だけだね。ふと思い出したのが、小泉純一郎です。彼もあまりしゃべりません。内容はちょっとだけ、でも自信満々に、ずばっと答えます。これは見習うべきかな。結局は迫力とかオーラとか、そんなものが残るのです。というわけで答えを覚えるのはやめて、自信満々に熱意を持って答えることにします。自分が未来の日本の救急を背負うという自負で。
まずこの文章が長いか。。

× 自信。同じことです。面接ばかりで、ポジティブなフィードバックが少なく、すこしづつ自信をなくしています。こんなことではいけません。結果はどうあれ、全力で、ぶつかります。これからアメリカで働くなら、これくらいのことで挫けている場合ではありません。自分の弱さと闘わないとね。

× アピール。同じことです。自分のやってきたことにもっと自信をもってアピールしなきゃいけません。日本人はやっぱりこれが下手です。ここの人間はは持ってないことを120%に見せます。そんなに謙虚な人間ではない僕ですら、持ってることの60%しか出せません。書類では非常に映えますが、書類をあまり呼んでない面接官には、兎に角アピールしなきゃいけないね。

まあ、プレシャーがかかる毎日です。いつも目覚ましより早く起きてしまいます。お腹も痛くなります。でもよく考えてみたら、こんなことしてるのは贅沢な経験です。時間も作って、いろいろな人の理解と援助でこんなことをしています。またまた遠回り人生ですが、こんな経験も、いつの日か自分と、患者さんのために活かせる日が来ると信じて頑張ります。I believe I can make it!

2007年11月17日土曜日

今日は失敗?

今日はNY、マンハッタンのマウントサイナイ病院でした。
アッパーイーストにあって、かなり高級感のある町です。図書館からもセントラルパークが一望できます。ロケーションは本当に最高。ただプログラムの内容はそこまで素晴らしいかはわかりません。まあアメリカではブランド化に成功した病院の一つです。

そのせいか、今日面接に招かれていた医学生たちも、いわゆるアメリカの有名どころです。Chicago, Tufts, Duke, GeorgeTown, McGill大学(これはCanada)といった感じ、しかもMD/PhDコースというややこしい連中も入ってました。やはりいいとされているプログラムには、いいとされている大学から多くきます。これは明らかですね。まあ日本の就職活動と同じか。。。そんななかで、出所の不明なのは僕ぐらいです。まあ彼らには負けないけどね。
どこにいっても救急で外人はとても珍しがられます。救急に応募する外人はかなり少ないようです。不可能に近いとされる領域だからです。(内科・小児科では外人は3分の1くらいいます。アメリカの面白いところ)。それだけに医学生たちは、興味をもって僕に接してきます。若いけども概していいやつらです。

さて面接は?二人の若いスタッフとはまあ無難にできたと思います。ただしチェアマンは???明らかに外人は不利だなーと感じることがままあります。これはしょうがないことだけどね。そして、そんな障害も乗り越えないとこの先やっていけません。アメリカ人の120%のパフォーマンスを出さないとね。ここは第一希望だったのですが(NYだから)、すこし先行きは怪しいです。
これからは、はったりを利かせるくらいの自信をもって、自分の実績をアピールしないとね。やっぱり僕は日本人。持ってるものさえ控え目にアピールしてしまいますし、持ってないもの以上のものを見せようとすることに非常に抵抗があります。でも自信をもってぶち当らないとね。

さあ来週は二つの面接だけ。これで11月は終了。
月曜はミネソタ州にあるMayo Clinicというとても寒そうな所に行きます。とてつもなく田舎みたいですが、ここは全米でトップ3にはいる病院だそうです。アラブの石油王がチャーター便で来るようなところです。
水曜はボルチモアにあるメリーランド大学。ここは外傷・ショックの都です。治安悪いからね。港はきれいだけど。

あとちょっと、頑張ります。

2007年11月16日金曜日

紐育へ

グランドラピッドから飛行機で3時間。
そのPhillyから車で2時間。
やっと都のニューヨークに着きました。いままで田舎ばかりめぐってたので、この大都会がまぶしすぎます。ちょっと狂ってるね、ここは。

物価も狂ってます。やっと探し当てた安宿も、それなりに高いです。でもある意味風情があります。インド人(たぶん)がフロントで、日本のビジネスホテル並みの狭さの部屋ですが、なんとなくスパイシーな香りがします。

さあ明日の朝からマウントサイないの面接です。
さすがにあまり緊張しなくなってきました。ここは本命ですが。

これまでの反省は。。。フレンドリーにはやってきましたが、、、
もっと自信を持ってやるべきかな。言葉で通じるのは10%以下。それ以外のものがはるかにコミニケーションでは大事なようです。自信とかはオーラとなって伝わります。いままでやってきたことと、積み重ねと、これからの未来を自信にして、ぶち当たります。アメリカ人とはいえ、医学生には負けられません。

Grand Rapids

五大湖のほとり、ミシガン州のグランド・ラピッドにいます。
とにかく寒いですが、やはりホッケーが盛んなようです。

町は20万人の小さな町。これでもミシガンではデトロイトに次いで大きいみたい。
人間もゆったりしてフレンドリー。犯罪も少なく、古き良きアメリカみたいな感じ。町も幾人かの大金持ちの家族がいて、その寄付のおかげで、病院・アリーナがきれいになっている。面白いところです。

インタビューも終わりました。あまり印象は強くありません。ただ面接しただけで、レジデントとの接触がなかったからね。これでは確かに自分との相性はわかりませんね。プログラムディレクターはホッケープレイヤー、医者のチームもあるくらいホッケーは盛んみたい。だから僕も面接に呼ばれたんだと思う。病院もきれいなんだけど、プログラムは少しぬるいかなという感じ。僕には少し物足りないような気もする。ここは寒すぎるし、何もありません。基本的にどの救急のレジデンシーは、フレンドリーでlaid back。自分の生活、友人との時間を大事にする感じ。日本の医者とはだいぶ違います。

さあ、これからPhillyにかえります。そこから車でNYとタフな移動。明日は本命の一つマウントサイナイの面接。どうなることやら。ロストバッグされないことを祈ってます。

2007年11月14日水曜日

Hershey終了

早いものです。今日で3つめの面接。
だいぶ慣れてきたかもしれません。ただし少しやる気がなさすぎたかな。

今日のプログラムはペンシルバニア州立大学のプログラム。チョコレートで有名なHersheyという田舎にあります。病院もHersheyさんがチョコで稼いだお金で建てたみたい。周りは紅葉でとてもきれいです。

プログラムは今までの2件よりも見劣りがします。EDの規模。患者の数。レジデントのやる気、教員のやる気。どれを取って見てもあまりいいところがありません。なぜかわかりませんが、面接に来ていた学生のレベル、やる気も低かったように思えます。Indyはみんな手ごわそうに見えましたが。。ここは田舎で安全なので家族には良いですが、あまりにやることがなさそうです。面接は受けましたが、ここは僕はランクには載せません。もうHersheyに行くことはないかもしれませんね。

といっても面接で学ぶことはいろいろあります。今日の反省点。
ーやる気のない面接官を相手にするのが大変。どうしてもこちらのトーンも下がってしまう。
ー今までどうり、やる気のある面接官には質問しまくって、相手に喋らせるのがいい。
ーやる気のないやつには、つきあってこちらのトーンを下げずに、アピールするのがいいかな。
ー面接は会話。どの程度しゃべるのがいいのかは難しい。ある程度しゃべってアピールしなければいけないし、かといって冗長は逆に働く。まあ相手を見ながら、もう少ししゃべろうかな。
いまさらこんなことをやってますが、これも人生経験になるでしょう。頑張ります。

明日も朝早くにおきて、飛行機乗ります。
明日はミシガン州にあるGrand Rapidsというところ。聞いたこともない町です。とにかく寒そうです。ここも練習だと思っていきます。どうなる事やら。その面接後はPhillyにとんぼ返り→NYまで車で移動→マンハッタンのマウントサイナイ病院の面接と連日です。

また明日。

2007年11月13日火曜日

IndianapolisからHersheyへ

今日はインディで面接。
二回目だけど、なぜか1回目より緊張しました。前日も浅い眠り。このところこんな感じ。

このプログラムはレジデントが本当に仲が良くて楽しそう。患者のボリュームも年間20万人以上と全米でも指折りみたい。プログラムとしては結構いいね。インディアナポリスは治安が良く、住むには安くて家族持ちにはよいところ。ただし、大都会ではない。四季があってカヤックとかもできるみたいだけどね。

面接は?どうだかわかりません。プログラムとしても今年初めての面接だけに様子をみてるのかな?一人のチーフレジデントは僕を非常に気に入ってましたが、ほかのディレクターはどうだかわかりません。結局面接は相性のとこもあるからね。あまり気にしてもしょうがない?まあベストを尽くすだけです。

このプログラムは少し変わってます。人間性をすごく重視するせいか、質問が宝くじ当たったらどうする?とか誰にでも会えるとしたら誰とあいたい?とか、たらればが多くてやりにくかったです。しかも面接官は5人、リラックスした面接だけどやはり疲れます。

その後飛行機に乗りPhillyへ。そこから車で2時間、いまはまたChocolateで有名(これ以外にはなにもありません)なHersheyに深夜につきました。明日も面接なのでもう寝ます。明日のプログラムは来年行くつもりはありません(たぶん)。練習だと思ってます。

おやすみなさい。

2007年11月12日月曜日

インディアナポリス

アメリカの真ん中、シカゴから飛行機で40分です。
もう二度と来ないかもしれません。いい経験です。

たった今、ここのレジデントのディナーから帰ってきました。半分くらいのプログラムは、前日夜にプログラムのレジデントと非公式のディナーがあります。ディレクターに聞けないような裏話を聞いたりして、プログラムの内容を知ります。

行くのは結構勇気がいったけど、行ってよかったかもしれません。なんとか英語は通じるし、来年働くかもしれない人達をしるというのは大事です。3年から4年も一緒に働くのだから、いいやつらがいいよね。まああっちもそれを推し量るために、俺らを呼んで密かに評価しているんだけどね。

インディアナ大学のプログラムの連中はかなりいいやつらでした。フレンドリーだし、自分たちのプログラムにかなりの誇りを持ってました。プログラムは本当にいいみたい。
この町はちょっと田舎だけど、まあ住むにはギリギリの線かな。

はっきりいってディナーの前は緊張して、行きたくなかったです。まあ勇気を出して行ってよかったかな。あっちが俺をどう評価したのかは知らないけれども、まあ挑戦した自分を評価します。人も良かったし、その評価もできた。英語力も少しは自信がついたかな。まあこれは働くためには戦う英語力を付けなければいけないけれど。

さあ明日も面接。結果はどうあれベストを尽くしたいと思います。

2007年11月10日土曜日

消防署

今日は救急車にのる実習でした。
まるで学生のような楽な生活です。

ここLansdaleから車で30分。Philly郊外の田舎にある消防署です。
こちらは日本と違って、Firemanはボランティア(普段は他の仕事をしていて、火事があるとポケベルで呼ばれて働く)、救急救命士はその道のプロという感じです。

梯子車に乗ったり、救急車にのってみたり、EMSのジャケットを着て喜んだりと、無邪気な1日でした。カメラを持っていかなかったことを後悔しています。スタッフもとてもフレンドリーで、少しあほだけど、いいやつらでした。

12時間ほどいて、2回しか出動はなかったけれど、日本との違いがあって面白い。
こちらの救命士はなんでもします。薬物投与は当たり前、勝手にどんどん麻薬を投与していきます。
面白いよね。いいところも多いけど、ちょっと待てよと言いたくもなります。

とにかくいい経験でした。来週は面接が4つ。これからそれぞれのプログラムについて予習です。月曜はインディアナ大学。HPを見る限りでは非常に良いプログラムです。半分くらいのプログラムは面接の前日にレジデントとの非公式ディナーというのがあります。もちろんそこでも評価されます。楽しそうですが、人見知りで内向的なのと、英語力に自信がないから少し悩んでいます。試しに一回くらい行ってみるものかもしれません。

2007年11月9日金曜日

Temple大学

今日は初めての面接でした。

Phillyのなかでも危険なところにある大学病院です。場所柄、外傷患者が多くて有名です。
面接はうまくいったと思います。完璧ではないけれども、そこそこに自分を出せたとは思います。
あちらも、書類でかなり僕を買ってくれているようで、そのおかげであまりきびしい突っ込みはありませんでした。どんな人間か見てやろうという感じ。
面接自体、ものすごくリラックスした雰囲気で、こっちも少しそれに倣ってしまいました。いままでやった英語の面接では、一番緊張しなかったかもしれません。なんでだろう。面接前に医学生とかとよく話したのがよかったのかもしれません。

心配していた英語力は大丈夫なような気がしてきました。1対1の面接では基本的にこちらのペースで、しかもだいたいわかった土俵で勝負するので、あまり問題はありません。でも練習に越したことはありません。来年働くことになったら、戦う英語力が必須だからね。とくにERでは。


反省点
1.もっとアグレッシブにenthusiasticにやるべきだったかもしれません。面接官のLaid Backな雰囲気に流されました。もっとアピールすべきかな?
2.結構質問したけれども、もっともっと時間を延長するくらい質問しまくるべきかもしれません。それも一つのenthusiasmのあらわれだもんね。
3.やはり答えを暗記しすぎたかもしれません。面接も会話の一つだから、相手の表情、反応を見ながら答えるべきだもんね。すこし暗記はやめて、ポイントだけ覚えたほうがいいかな。

基本的に今日の面接で少し自信がつきました。これから10個以上の面接を受けるので、どこかには採用される気がします。Templeも悪くはありません。感触もまあまあ。プログラムとしても良い。欠点は場所と、プログラムディレクターのやる気のなさかな?彼の僕への反応もExcellentという感じではなさそうです。

来週は全米を飛び回って、そこらじゅうで面接です。最低3か所かな。田舎はキャンセルしたいけど。。。まずはインディ500で有名なIndianapolisの大学からスタートです。どんなところだか想像もつきません。プログラムはいいみたい。

おやすみなさい。

2007年11月8日木曜日

緊張

さあ面接が始まります。
明日がまず初回。同じくPhillyにあるTemple大学病院からです。相当緊張してきました。始まる前からね。面接で聞かれそうなことはだいたい覚えました。気楽にやりたいところですが、なかなかそうもいきません。すこし自己逃避でこれを書いています。

来週も最低3つの面接を入れています。最近2つの面接の招待が新たに来たので、それによって来週は少し変動する可能性があります。あまりに田舎で行きたくないところは受ける必要がないからね。面接の練習にはなるけども。連日入れてしまうと疲れきると思います。

まあやる気だけは見せないといけないね。がんばります。

2007年11月5日月曜日

休日

今日はとくに何もしてません。

朝からカフェに行って、面接の練習。ひとりで怪しくぶつぶつしゃべってました。しかも雄弁そうに。
日本語ならどんとこいだけど、英語だとある程度準備してないと、出てこない可能性があります。まだまだ英語で考えられないし、難しいことを伝える能力に欠けてます。これもいい練習です。
人事を尽くして天命を待つって感じです。

これからO'malley家でPhilladelphia Eaglesのアメフトを見ます。相手は宿敵Cowboysのようで盛り上がりそうです。この家は巨大。暖炉もあります。こういうところはアメリカの豊かさだよね。

明日はO'malley先生とER。8時間だけなので頑張ろう。この病院からは面接に呼ばれないかなと踏んでいます。まあそれでもいいでしょう。でも恥をかいてもいいから頑張らないとね。
火曜日はPoison Centerという中毒専門の所に行きます。
水曜はカンファだけ!の希望です。
そして木曜は初面接。どうなるかはわかりませんが、よく考えれば日本でも何回か英語の面接を受けてきているので、なんとかなる!と信じてます。

2007年11月4日日曜日

Hershey --> Harrisburg

今日は休みにしました。
毎日見学だけではどんどんMotivationが下がります。気が狂うかもしれません。
今日も他の病院の見学に誘われましたが、朝早くでてきました。

Phillyから車で2時間、Pennsylvaniaの州都Harrisburgというとてつもなく田舎にきてます。
ただしHot spotの入っているスタバはアメリカ中にあるのでこれを書いているわけです。
今丁度、こちらは紅葉の時期。ここまでの道はとてもきれいでした。四季のある生活はいいよね。Pennsylvaniaは住むに悪いところではありません。

途中にHersheyというこれまた田舎町をとおりました。チョコレートで有名なところです。とてもかわいい町で街灯もチョコの形、ストリートの名前もChocolateとかCocoaでおもしろい。ただし何もありません。ここのプログラムから面接に呼ばれていますが、ここには住みたくないね。

今日は面接の練習をしようかと思ってます。これを書き終えたら現実逃避は終了して練習です。初回は来週の木曜日、Temple大学です。Phillyの危険なところにあることで有名です。さっきラジオで、キャンパス内でレイプがあったと言ってました。今週はPhillyで警官3人が銃で撃たれました。一人は頭を撃たれうちのERに運ばれましたが、さすがに助かりません。。。

外国に住むのも悩ましいですが、やるだけやります。これも自分を成長させてくれるでしょう。

2007年11月2日金曜日

うつ

まったく元気が出ません。
もともとすぐ鬱になってしまうんだけど、今もそうです。

昨日この町でふたり警官が撃たれました。一人は強盗に頭を撃たれてうちのERに運ばれています。その前の日は殺人プラス放火がきました。まったくもって狂った国です。

一人でこの国に住む自信がなくなりました。やっぱり治安は断然悪いし、何をこんなに苦労して、アメリカでトレーニングをしなきゃいけないんだという疑問にぶち当たってます。来週にはTemple大学の面接があるというのにね。もう一度自分と向き合わなきゃいけないね。

これからの1か月は5個くらいの面接。ERでの見学。カンファに参加。救急車にのってみるといった感じのようです。見学が主目的できたのですが、あまりに居場所がなくて、これが自分を落ち込ませています。なんにせよひと月いるのだから、楽しまなきゃ損だよね。