2008年7月30日水曜日

2ヶ月の総括

こっちに書きこむことは、少なくなってしまいました。
いつものように一人で、考えるために書いています。

そう、やっと内科を卒業。今はついに本番の救急のローテーション。また病院は変わって、MGHという病院にやってきました。まずは軽症患者さんのくるfast trackから。忙しかった。


とにかくこちらに来て2ヶ月。過ぎてしまえば速いもの。4年間の24分の1が終わっちゃったんだ。どれほど成長したんだろう?評価されてうれしい部分もあるけども、まだまだだと思う。


1. 英語。やっぱり。いつもいつもこれを書き続けています。いつまでも最大の鬼門。やはり患者さんの問診で肝心なところを聞き逃している可能性もあるし、ディスカッションでどうしても尻込みしてしまう。わかっていても出だしが遅れる。歯がゆいんだよね。どうしたらいいのだろう。僕はもともと社交的ではないので、会話に花をさかせるわけでもない。。。積極性が失われるのが一番良くない。僕が去年沖縄で楽しむことができたのは、恥を捨てた前向きさだったはず。
-->まだ僕はインターン。日本での経験があるというプライドを捨てて、失敗を恐れず、かっこつけず、カンファでも前に座り、どんどん発言しよう。発言しようとする姿勢は、集中力を生む。ひとつひとつの積み重ねで遠くに行けるのだから。沖縄時代を思い出そう。けっしてmedical knowledgeでは負けない。そして間違えたことは忘れないからね。まだここは恥をかいていい場所。
患者さんとの会話はとにかく集中力だよね。仲間、指導医との会話は一つの作戦が。。外人であることの強み、わからない言葉の意味を質問する、これは一石二鳥?


2. 医学知識
これは僕の強み。同期のインターンより経験が長いから当たり前か。。とはいってもこの武器はいつまでも持っていたい。ただアメリカ人は良くできる。しかも口がうまいから、もっとできるようにみえる。ここは誰にも負けたくないし、プロとしては常に磨かなければいけない。日々の症例を復習するとともに、すこしづつRosenを読もう。


3. 研究
僕はアカデミックスに興味があるし、せっかく研究の盛んな施設にいる。アメリカに来てただ臨床だけではもったいない。ただ今はアイデアを模索中。救急自体の経験はあまりないし、せっかくなら素晴らしい先生と、自分の興味のある分野で研究をしたい。今年中にはそんな人と分野を見つけて、取りかかりたいと思ってます。ぜったいにやるぞ!
計画その2は、うちの部長先生が6年前に出した救急のハンドブックの第2版をつくれたらいいなとも思っています。夢のまた夢ですが。


4. ヒト
とのつながりがまだ薄い。ここに来たときの目標のひとつはこのつながりを広げること。まだどんなヒトがいるのかわかりませんが、素晴らしい先生がかならずやいるはず。そして同期とのつながりを深めること。僕が日本に帰ったとしても、このネットワークは人生の財産になるはずです。
ただそれを見つけるには、少し背伸びして、怖がらずにあたることです。モチベーションはあっても、引っ込み思案で、英語のせいで、縁を築けなかったらもったいない。常にチャンスを求めて、あたってくだけます。


毎日頭がボーッとするくらい疲れますが、がんばろう!
Pain is inevitable. Suffering is optional.

2008年7月9日水曜日

内科に苦戦。

予想通りの大苦戦をしています。まあ当然か。最初からうまくいくはずはないよね。


もともと僕は内科は苦手なようです。外来患者が好きで、大雑把な僕はあまり病棟管理が苦手、細部まで気が回りません。いろいろなことを見逃しているようです。言葉の問題もあるしね。シニアのレジデントにいろいろ指摘されて、かなりスーパーバイズされています。まだ信用されてないのかな、と感じてしまいます。


さあ、なにが足りなくて、どう改善したらいいのだろう。どうしたらここでもっと学ぶことができるだろう。
1、やはりしっかりとしたHistoryとPhysicalをとること。やはり内科はかなりディテイルまでこだわります。これも鑑別をしっかりたてながら、pertinentなことは絶対におとさない。本当に基本の基本。

2、もっと自分で考える。救急で働いているときは、自分ですべて考え、自分で診断する。でも内科入院になるとすでにある程度の診断とプランがたってから、僕らのところに来ます。僕はこれが苦手。最初から診たい気持ちが強くて、すでに誰かが診た患者になってしまうとおろそかにする傾向があります。もっと一から鑑別考えなければね。
そして異常所見から逃げずに、プロブレムから逃げずに、鑑別を考える。患者をみる。

3、病棟での患者の状態をしっかりみる。救急外来とは違います。長いスパンで、自分の介入に対する反応をしっかりつかまなければいけません。その評価、そしてどうするのか。

4、プレゼン。その時々、そのアテンディングによって求められるものが毎回違います。言葉の問題以上に練習不足なのでしょう。求められるものを自分で考え、そのフォーマットに従って、伝えたいですね。そしていつもあがってしまいますが、もっとリラックスしよう。


その日その日をこなすだけになりがちです。事務仕事をこなすだけにアメリカに来た訳ではありません。学ぶためにきたんだよね。自分に負けずに仕事をします。



2008年6月27日金曜日

最後の休日。Pain is inevitable. Suffering is optional. そして岡本太郎

さあ、明日から4年間の研修がはじまります。研修医の生活をまたゼロから始めます。眠く、つらく、でもとっても成長する4年間になるでしょう。


今日は最後の休日をもらいました。明日からに備えてじたばたしながら、休んでいます。好きではない(救急の研修医はみんな内科が嫌い。)内科のしかも当直スタートということで不安が強いですが、どんと来いという気持ちもあります。ここでいつもながら、書きながら自分の気持ちの整理をしたいなと思います。


ついに夢がかなったんだもんね。医学部に入ったときには(そのころ僕は英語は全くだめだった)、遠い遠い夢だった。現実感が無さすぎてただの憧れだったよね。それから大学4年最終学年になって、学生生活をだらだら過ごしている自分が嫌になって、そこで岡本太郎の本に出会い、すこし人生が変わりました。つねに人生を燃やす、危険な方に賭ける、のです。そして留学に向けて勉強を始めました。そしてさらなる失敗をたくさんして、紆余曲折、卒後5年目でアメリカの病棟にたつことができます。たくさんの人に迷惑もかけ、援助をしてもらい、すばらしい出会いもありました。ここまで来れたことは、本当に感謝しなきゃいけないよね。


長い長い4年になるでしょう。でもやることはその日一日だけに集中すること。走ることと同じように。遠くの上り坂のその先をみるのではなく、一歩一歩のストロークに集中して。そういえば村上春樹の本にこんな言葉がありました。Pain is inevitable, suffering is optional. マラソンについての言葉ですが、これからの研修生活も同じでしょう。絶対に肉体/精神的に厳しく、睡眠不足でしょう、それは避けられない。でもそれをどう受け止めるか、苦しくて走るのをやめてしまうかは自分次第。。そうとってもつらいかもしれない、でも死なないで、とにかく走りきりたいなと思う。


最後に岡本太郎の言葉で。僕に最も足りないもの。すぐに他人と自分を比較してしまう。そうじゃなく、深山を両翼を広げて孤独に飛翔する鷲のようになりたい。
「人生は、他人を打ち負かすなんてケチくさい卑小なものじゃない。いちばん大切なのは、自分自身に打ち勝って、自分の生きがいを貫くこと、これがいちばん美しいことなんだよ」


2008年6月23日月曜日

ガスを抜く

ひさしぶりにこっちの日記を書こうと思います。新しい日記はすこしオフィシャルな感じで研修についての真面目なことを(書けていないけど)、こっちは、自分の感情を整理するために、書く、というのが目的なのです。


ボストンに来てはや3週間。オリエンテーションもはじまり、14人の同期にもあい、毎日のオリエンに飽き、歓迎会にすこし疲れてきてます。僕は比較的長く一人の時間が必要なので、こういう生活は疲れてしまいます。まあだれでも入りたてはそうだよね。


そして今週金曜日からは、ついに3回目の研修医生活が始まります。それも異国の地で。。。去年までもアメリカの病院だったけど、あっちはすこし甘かったし、同期は日本人だったからね。もう言い訳はできません。毎日おなかが痛くなる日々です。


いろいろな不安があり、恐怖を感じ、ストレスとなっているようです。
1、なによりも言葉の不安。もともと人見知りでだし、社交的ではない自分。ましてや母国語ではないので、より腰が引けてしまいます。病棟に出てからも、患者さんとはokayだと思うけど、医者どうしでミスコミニケーションがあったらと、怖くなってしまいます。
→ まあ考えすぎてもしょうがないよね。失敗は成功の母だし、全く英語がだめだった僕がここまで来れたんだから、まだ行ける気がする。すでにまあまあしゃべれるし、我慢してかつ積極的でいれば、もっと伸びるよね。そして、自分のことばかり考えないこと。30にもなって情けないですが、まだ自分のことばかり考えてしまいます。同期はどう思っているだろうとか、英語がだめだと思われていないかとか、つまらないことばかり。そんなことより周りに意識を向けて、働きかけないとね。そうすれば恐怖もとれるはず。


2、始まる研修医生活。また1年目のヒヨッコからです。日本のそれも厳しかったですが、こちらももちろん厳しいようです。心身ともに疲労し、アメリカ人でさえ一回は泣くようですから、僕も必ずやおちこむでしょう。でもそんなものだと思わなければね。あまり期待はせずに、でも楽しんで(寝れないことも、朝早く起きることも)、そして困難は乗り越えなければいけないことを肝に銘じて、一日その日だけをみて働きたいですね。


去年も沖縄生活がはじまった時は、自分がそこで英語を使って働いて、卒業することなど想像ができませんでした。でもできたんだよね。それも楽しく。これは周りの人々に非常に恵まれたことが大きかったでしたが、自分の気持ちをとにかく前向きに積極的にできたことが良かったんだとおもいます。こっちでも格好つけずに、どんどんチャレンジしていきたいと思います。


張りつめた日々ですが、書くこと/走ることでガス抜きです。


2008年6月11日水曜日

ボストン、韓国、レバノン

ボストン生活はじめました。

すでに6日ほど経ち、やっと時差ぼけも抜けてです。
新しい生活を立ち上げなければいけませんので、事務仕事が大嫌いな僕もぶーぶーいいながら妻とやってます。

早速車が決まりました。メーリングリスト(ボストン在住の研究者の)を通じて、韓国からの大学院生からJeepを買うことにしました。結構安く買えたし、いい人だったし、今のところは満足!これから保険、ナンバープレートなどなどしなくてはね。

そして家もやっと決まりました。これはレッドソックスの本拠地Fenwayにある蔦のからまった雰囲気のあるアパートメントです。大家さん(レバノン系アメリカ人)が僕らを気に入ったらしく、僕らも家を気に入り、早速決めてしまいました。これもボストンにしては安くいったと思います。というか、ボストンの家賃は東京都心並みに高い!!

ボストンが国際的な街だとほんとに感じます。どこの馬の骨かもわからない外人同士でどんどん個人売買が進んでいきます。面白いよね!

さあ、来週からオリエンテーションが始まります。今週が最後のお休み。ボストンはCelticsがNBA Finalまでいってもり合ってますが、僕らはRed Soxを応援しにいってきます。

2008年6月3日火曜日

出国前夜

海軍病院を卒業してから2ヶ月。いつもいつもあっという間でした。
これといったことはせず、友人に会ったり、家族と犬とゆっくりとした時間をすごせてよかったと思っています。試験勉強は間に合わずに、3ヶ月伸ばすことにしました。研修医1年めにうけるという無謀な挑戦をする羽目になりました。。。


さあ明日、日本を発つこととなりました。海外に住むこと、働くことは初めてです。沖縄に行くときもそうでしたが、大きな不安のなかにいます。

①外国で生活すること自体への不安:native languageでない環境で、異文化に住むという体験。家を探し、家財道具を揃え、車を買い、銀行口座を開くなどなど(日本でだって苦手なことばかり)。僕も変化に心をときめかせるくせに、近くに来ると腰が引けてしますのです。もちろんうまくいかないことだらけでしょう。たまに上手くいく程度だと思って、妻と力を合わせて楽しもうかと思います。これも素晴らしい体験です。

②新しい病院:また研修医1年めからです。ピラミッド構造の最下層、外国人は僕だけ。シチュエーションは完璧です。システム、言葉など慣れないことばかりでしょう。しかし、臨床で留学した先人たちが通った道だよね。それに、ずーとやりたかったことをついにかなえたのですから、素晴らしいことなのです。いっぱい失敗して、まだ見ぬ同期15人で力を合わせて、素晴らしい4年間にしたいと思います。comfort zoneから出て、背伸びをして、そうすると成長するしね。今年は欲張らずに、首にならないこと、健康であること、目の前にあることを一つ一つ丁寧にやることを目標にします。


親友と握手、家族と挨拶、仏壇に報告、携帯は解約、家の片付け、荷物のpackingと自分を少しずつ身軽にして、しばらく帰ってこないんだなと実感がでてきました。昨夜は横浜の花火大会で、あまりきれいなので、とても感動してしまいました。感傷的になっています。

この個人的な日記は引き続き書こうと思います。また別に少し仕事っぽいやつも始めようかと思います。すこし野心をこめてです。
http://d.hatena.ne.jp/KoheiHasegawaMD/

とにかく行ってきます。

2008年5月10日土曜日

ローテーション発表!

さあ、渡米まで3週間ほどとなりました。
楽しみにしていたことなのに、カレンダーを見るとその事実に戦慄します。やはり変化は怖いよね。

さあ、今年1年のスケジュールが決まりました。救急のレジデント(ほかの科もそうですが)、とくに一年目はいろいろな科を回ることになります。米国の救急は赤ちゃんから妊婦、眼科疾患から老人までなんでもみます。ということで多くの科を回るのもいい経験です。

僕はブリガム&ウィメンズ病院の内科から始まるようです。いきなりbest of the bestのようなところからです。緊張します。そして4週間ごとに違うかを回っていきます。次はMGHのER、そして産婦人科です。

失敗を恐れず、多くを吸収して、人とのつながりをつくれたらと思います。

2008年4月25日金曜日

勉強、勉強、

いつも勉強です。

周りの人にもよく言われるようになりました。
アメリカに行くということで、たくさんの試験を受けなければいけません。という動機があって勉強しているのもあります。でも基本的に勉強が好きになってしまったのです。医学は勉強する場するほど、実際の仕事の役に立ちます。というか、勉強しないとただのやぶ医者だからね。しかも人体って面白い。なんでこんな素敵なシステムができたのだろうと思うくらい。僕は医学に恋しているのです。

とはいっても集中できないことも多々。
今は6月の初めに受けるアメリカの国家試験Step3(これでやっとおしまい!)の勉強中です。結構だれてすすみませんが、楽しんで勉強したいね。

最近興味深い本を読みました。勉強の成果=地頭X戦略X時間X効率と言っています。これは僕の考えてきたことと似ています。僕も、うまく戦略・計画をたてて、時間を捻出し、集中できる環境を作りたいと思います。

2008年4月23日水曜日

外人クリニック

で今働いています。

東京タワーのすぐ隣のビルにあります。結構でかいオフィスをもらって、公園を横に見下ろしながらのクリニック。何か偉くなったような錯覚を覚えそうなところです。

今まで想像もしませんでしたが、こんなビジネスもあるのですね。患者さんは主に日本で働いている欧米人とその家族、たまに旅行者が着ます。外国での病気は心配ですよね。というわけで外国語OKなクリニックなのです。医師はつねに4,5人働いています。日本人、ドイツ人、イギリス人といった構成。患者さんも多国籍で、主に欧米人ですが、世界中の人を診ています。僕は英語だけしかだめですが、みんな何ヶ国語も話せてすごい。見習いたいものです。

患者さんは基本的には健康な人たち。ふつうのプライマリーケアという感じです。ただ世界中を飛び回っている人たちなので、ワクチンや熱帯病などにも気を使い、面白いです。

今月は時々ですが、来月は結構働かせてもらえそうです。臨床と英語のトレーニングになりますので、お金もらいながら楽しんでやっています。

2008年4月20日日曜日

thanks my friends

昨宵は久しぶりに親友たちと会いました。
沖縄に行っていたので、みんなで会うのは一年ぶり。でも親友はたまに会うのでも大丈夫なんだよね。いつまでも大事な人たちなのです。

みんなやっぱり変わりません。多少太ったり痩せたりしていますが。でも数人は職を変わって、楽しそうに今の仕事を語ってくれました。とても刺激を受けますし、そんな話を聞くのが好きなのです。

作務衣と草履もプレゼントにもらいました。ボストンにいったらこれで通しましょう。日本男児でね。

これから4年間、みんなに会う機会は減ってしまいます。ボストンに来てくれればうれしいですが、その間の変化も楽しみです。みんなの期待と自分を裏切りないようにがんばろう。

2008年4月11日金曜日

横浜に帰ってきました。

もう一週間。やっぱり横浜はいいです。人が多くて、寒いのにはまいりますが。

横浜帰ってきてからは、バイト生活です。Bostonへの引っ越しへいくらかためなければいけません。健康診断のほかに、来週からは東京タワーのとなりの外人クリニックで働く予定です。英語力を保つのに最適だからね。

月曜日は面接に行ってきました。というかもう採用は決まっていたみたい。あちらも人が辞めて大変みたい。こんなんで僕の勤務決めていいのでしょうか。。。まあせっかく拾ってもらったので、僕も期待に応えるべく頑張ります。

午後は後輩の友人と食事。彼は芝浦で働いているのでご近所さん。久しぶりに会いました。僕は医療、彼は広告と異業種ですが、generalistとspecialistについての葛藤、コンサルタントを会社のお医者さんとみた場合のthinking processなどについて話しました。面白いね。業種はちがうけど、基本は一緒、悩みも似ています。いつか一緒に仕事ができたらいいな。

その後は上智大学、駒沢大学、横浜の高校などで健康診断。毎日いっぱい診るのでくたくたです。ただルーチンでやってしまうのはプライドが許しませんし、学ぶこともありません。1分間という限られた時間のなかで、どうやって人間関係を築けるかを工夫しています。そして多くの人に会うので、その人たちなりの第一印象を見ています。いろんな人がいるもんね。どうやったら人が他人に良い印象を与えるかを彼らを通じて勉強しています。昨年もこれをやりましたが、僕の面接旅行の助けになったような気もしています。

さあ、そろそろ勉強です。6月にBoston引っ越し後に現地で最後の試験を受けます。楽しんでいきます。

2008年4月4日金曜日

bye bye okinawa

同期の仲間もひとり、またひとりとこの海軍病院を発っていきます。
なにか心にぽっかり穴があいてしまいました。こんなの久しぶりです。


そして僕の番ですね。明朝、この病院を、この基地を、そして沖縄を発ちます。
今日はお世話になった先生たちに挨拶をして。


本当に素晴らしい一年でした。つらいこともいっぱいあったんだろうけど忘れてしまい、うれしいことがもっといっぱい。医学の違った見方を学び、アメリカ人と渡り合うことを学び、外交・政治・人を動かすことを学びました。自分ひとりでは何もできないこと、人と力を合わせることを、傲慢な僕は齢三十にして学びました。ものすごく勉強になりました。結果アメリカ人が好きになり、日本も好きになり、ここで働くことを誇りに思うようになりました。そして将来は救急医療に関わりながら2つの国の小さな掛け橋になれたらと思います。これは僕のミッションですね。


そして人生の宝物を得ました。5人の同僚たち、彼らは最高のライバルであり、気のおけない友人であり、そして家族でした。Dr. G, Dr. M, そして僕の生まれて初めての師匠であるDr. S。彼とは一生家族ぐるみの付き合いになるでしょう。変人ですが、ものすごく勉強する医者です。academic trackを進もうとしている僕は彼の後を追っているのでしょう。彼は彼なりのユニークな方法で応援し、同じ失敗をしないように導いてくれています。彼の思惑だったPhiladelphiaのプログラムとはなりませんでしたが、keep in touchします。そしてこの人たちと、またどこかで一緒に働きたいですね。


多くの人のおかげで、6月から進みたい道を歩くことができます。これは自分ひとりでは成しえませんでした。とてつもない幸運とみんなのhelpのおかげでした。でもね、その夢をかなえた嬉しさよりも、実は出会えたことへの感謝のほうが大きいのです。


ありがとう沖縄。バイバイ!また会う日まで。

2008年4月3日木曜日

オリエンの季節

がやってきました。日本中で行われているのでしょう。
ここ沖縄海軍病院でも、新しくきた6人のインターンに引継ぎをしています。

こういう作業こそ、僕らはここを卒業するのだなと感じさせます。僕らも仲間に恵まれた一年でしたが、きっと彼らも素晴らしいチームになってよい一年を経験するのだと思います。こうやって歴史は作られていくのですね.

さあここの生活もあと1日。1年間surviveしました。新しい生活への期待と不安が入り混じって、とても複雑な気持ちで胸がいっぱいです。

2008年3月29日土曜日

引っ越しと不安

沖縄の家も引き払いました。1年間なんてあっというま。

とはいってもあと1週間は基地内にいなきゃいけません。というのも、契約がまだ切れていないし、来年度のインターンの先生方に引き継ぎがあります。

というわけで、病院の当直部屋に住むことにしました。狭いしプライベートもありゃしないけど、共同シャワー、トイレと学生のような気分で気楽に住みます。

去年の今頃が思い出されます。あの時は新しい生活に不安だらけでした。久しぶりの臨床大丈夫かな?とか、英語わかんないとかね。すぐになれたけれども。そして今は、6月から始まるアメリカでの本物の研修に緊張しています。また不安だらけ。なれないシステム、ほんとに日本人のいない職場、英語ができなきゃもう誰も相手にしてくれない。。。人間は環境の変化には足がすくむものですね。

でもやればできるはず。去年の今頃と同じです。一歩踏み出して、背伸びすれば、自分も伸びるのです。そんなすばらしい環境に入ることのできる幸運に感謝。

Bostonでの新生活まであと2か月。
バイトをしてお金を稼ぎ、楽しく勉強して知識をBrush upし、英語を何とかしなきゃいけないね。もう周りに英語のある環境ではありません。コンスタントに毎日勉強できる環境を作ります。

2008年3月22日土曜日

ついに卒業

今日、USNHの卒業パーティーが終わりました。ぼくらインターンの一年もこれで締めくくりです。多くの先生方が来てくれて、最高に盛り上がって、すごく感動しました。まあ最後の1か月は仕事はそっちのけで卒業式に集中していたからね。
この写真はぼくらインターン(二人抜けていますが)と今年のBest Teacher AwardをとったDr. Alseidiという素晴らしい先生です。彼はぼくのロールモデルの一人。この人も言っていました。「医学ってのは本当に面白いんだよ。決して終わりがないし。こんな素晴らしい職業はないんだよ。そしてつねに病態生理を、そしてシンプルに学びなさい」と。この人は僕の一つの目標です。
今日のパーティーでとても多くの人たちに祝福されました。仲間のインターン、ディレクターのDr. G、仲良しのDr. M, Bostonのきっかけを作ってくれたDr. C そして多くの人たち。すこしずつBostonに行くことの実感がわいてきました。ありがとう。でもね、逆に心配になってしまいます。本当にやっていけるのかなと。Dr. Mも「ものすごく、ものすごく辛いことがある。日本人というだけで辛いことに会うことがあるかもしれない。でもね、Never give up」と言ってくれました。
ベストを尽くせば、誰かは見ていて、そして仕事は認められるはずです。自分の良心にさえ従っていればいいんだよ。とにかく、一年間のすばらしい海軍病院生活、もう戻れないのがさみしいです。ありがとうございました。

2008年3月21日金曜日

行き先決定!!

本年7月からの働く場所が決まりました。例のお見合いの結果が本日早朝3時に出ました。実は寝過ごしてしまいました。

そう、第一希望のBostonのプログラムに行ける事になりました。
アメリカの救急に入り込むこと、夢のプログラムに行ける事。本当に夢のようですが、とにかく、これまで時分のわがままを支えてくれた家族、友人、病院の上司、同僚そんな方々に感謝です。自分ひとりではとてもじゃないけどここまで来ることはできませんでした。

さあここからが勝負ですね。きっと辛いことがいっぱい有るんだと思います。まずはBostonで4年間一生懸命努力したいと思います。

ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
コウヘイ

2008年3月20日木曜日

卒業式

今日は卒業式でした。Time flies. 光陰矢のごとし、というやつだね。
でも本当にいい一年でした。

卒業式も緊張してしまって楽しみきれることができたかはわかりません。嬉しいことがいくつかありました。

ひとつはDr. Mのすばらしい卒業の式辞。今年は日本人ゲストに頼まず、6年間僕たちの面倒を見てくれた彼に頼みました。禁忌スレスレの挨拶でお偉いさんをヒヤヒヤさせていたけど素晴らしかった。僕の大好きなSteve JobsやChurchllを引用していました。有名な"Stay hungry. Stay foolish" "Never give up. Never give up. Never give up"です。来年からアメリカでの仕事。きっと落ち込むことが多々あるでしょう。でもこれを胸に頑張っていきたいね。

次は僕らのプログラムディレクターのDr. Gの挨拶。彼女日本語は全然だめなはずなのに、なんと日本語でやったのです。すごくすごく練習したんだね。僕らにはわかります。ありがとう。

一番うれしかったのは、僕のMentorであるDr. Sからのプレゼント。めちゃめちゃ重いものを担いでいるので何かと思いました。くれたのは救急医学の教科書。Rosen3分冊です。救急レジデンシーに入った僕への先輩からの餞なんだね。ありがとう。しかも救急の神様Rosenから僕への直筆メッセージ入り(どうやって入手したんだろう)。でももっと感動したのは彼からのメッセージ。僕はきっと彼の後を追っているのでしょう。認め合う同僚として、彼の人生経験(失敗)も含めて、家族を大事にしなさい、という素晴らしい言葉をいただけました。

素晴らしい仲間と素晴らしい上司に恵まれた、本当に運のいい一年。今ここに、こうあることを感謝です。

2008年3月19日水曜日

明日が卒業式

マッチングの結果からひと夜あけました。

でもまだまだ実感がありません。迫る卒業式とパーティーの準備に追われ、そっちが気になってしまいます。明日が卒業式。去年はじめて飛び込んだ卒業式から、はや一年。あの時は英語が全然分かんなくってビビってました。

いろんなことがありました。時々辛いこともあり、相変わらずダメな自分を叱咤し(きれてないけど)、でも、多くのすばらしい出会いと、その人たちと素晴らしい時間を過ごし、すこし成長できたとも思えます。

渡米決定のニュースに友人からおめでとうの電話、メールがありました。ありがとう。
どこに行くことになろうが、未来への一歩を踏み出したことに感謝しなきゃねと、ある親友に言われました。本当にそうだよね。

今まで多くの人たちが、夢を追っかける僕をさまざまな形で応援してくれました。
古くからの友人、同期のインターン、海軍病院のスタッフ、そして家族。
ここまで来ることができたのは皆のおかげです。
この場を借りて感謝します。

ありがとう。

2008年3月18日火曜日

アメリカ行き決定

深夜2時の発表です。NY時間の正午なのでしょうがありません。
とにかくどこかのプログラムに行ける事になったようです。これを目指してがんばってきたんだね。医学部5年のときからだから6年越しの夢がかなったことになるんだね。

今は残念ながら実感がまったくありません。卒業式の準備で疲れきっています。。
ひとまず今は寝て、明日喜びを噛み締めます。

行き先決定は木曜日深夜3時の発表です。こっちが本番。あまり感動的な文章にならない自分が残念です。

2008年3月17日月曜日

いよいよマッチ

毎日卒業式の準備で夜なべ。かなり良いものに仕上がってきました。

そして今日深夜2時、マッチングが発表です。
今日はマッチングしたかどうかのみ。どこに行くかは金曜日の早朝3時です。
マッチはしたと思います。でも結果を見るのはすこし胸が高鳴りますね。来年は太平洋の向こう?
もし今日落ちていたら、スクランブルという敗者復活戦に入ります。アメリカでは救急は人気なので空きのプログラムは全体の1%以下。こうなると絶望的だね。

でも今日は当直。家には帰りません。ひとりPCを空けてonlineの発表を見ます。その瞬間を誰ともシェアできないのは少し悲しいけどね。

もうすこし。

2008年3月16日日曜日

空母Essexに乗った!!




お宝映像が出てきました。実際に乗ったのは6月くらいだったと思います。


これは海兵隊の空母Essexです。4000人くらいのれるヘリコプターと垂直離発着戦闘機の空母です。なかにはでっかい病院もあるということで遠足したのです。甲板だって200mくらいあります。


こんなすばらしい遠足ができるだけでもこの病院に来た甲斐があったかもしれません。ミーハーです。


アメリカの海軍の医者になると、アフガンやクウェートに行かなければいけないこともありますが、空母に乗ったり、ダイビング特殊部隊に入れたりと、けっこう楽しそうです。

卒業式の準備

で毎日夜なべです。

もう最後の2週間くらいはローテションはさぼっています。 感謝の意味をこめて好いものにしたいですからね。

今年のインターン6人はとてもチームワークが取れているので、仕事もはかどります。今のところは順調。

とはいって4日しかありません。これからは徹夜覚悟ですね。30にもなって学園祭の準備みたいです。

右の写真は僕のmentor、Dr. Sです。ビデオ撮影のためにかつらをかぶっています。でも結構はげてます。。。僕は彼に会えてラッキーでした。一生ものの師弟関係だと思います。変な人ですが気が合います。彼がいなければ今年の就職活動はここまでこれませんでした。

金曜日はラッキーなことに彼のレクチャーが、僕らの最終講義となりました。最後に渡米する前に覚えておかなければいけないことを、彼特有の方法で教わりました。彼はかなりのエリートですが、みんな人生いろいろあるのです。

これからもよろしくJoel!!

新しい医学会?

のようなものを立ち上げました。

うちのDr. Mを中心に。ぼくらインターンは裏方さん。

うちの病院から米国人医師20人くらい、沖縄の病院から日本人の医師を25人。しっかり人も集まり、けっこう盛り上がって大成功。来てくれた先生からもお礼のメールなどもきて、やったかいがありました。これで病院間の関係がよくなるといいですね。


場所は海兵隊が所有するゴルフ場。こんなものがあるなんて沖縄に来るまでしりませんでした。彼らは何でも持っています。
あとは卒業式だけ。もう終わっちゃうんだなー。

2008年3月12日水曜日

ER

明日はこの病院最後のER当番。

僕は救急志望だし、とても楽しく働きました。ここの人たちが一番好きですし、ここが居場所という感じです。きっとこの一年で60回くらいは当直しているはずです。患者も結構見ましたし、とてもいい勉強になりました。離れるのはさみしいですね。この写真にはDr. Obieと看護婦のJulieです。そんなに教育的ではないですが、めちゃめちゃlaid-backで気が合います。

2008年3月5日水曜日

落ち着かない

ここ最近、こころが落ち着きません。
まあ僕はいつも昂揚の時期と少しうつを繰り返す癖がありますけど。

原因はなんだろう?

1.マッチングの結果
どこかに行けるだろうとは思いつつも、どこに行けるかということがわからないと、人間やっぱり落ち着きません。とくに行きたい所から微妙な返事があると特にです。でもいくら僕が悶々としてもこれは力が及ぶことではありません。考えるのはやめて自分の力が及ぶことに力を注ぐべきだよね。

2.Okinawan American Physician Societyの立ち上げ
Dr.Mのヘルプをインターンと力を合わせてやっています。僕は事務の裏方さんだけど、おかげさまで人も集まりました。もう一息だね。このままの調子でいけばいい感じかな。医学ではない、negotiationの勉強になります。沖縄にきてからこんなことばっかりやってるような。。。とにかく、みんなの協力のおかげでうまくいってるね。

3.卒業式・卒業パーティーの準備
これがおおごとです。人もかなり集めますし、期待されています。プレッシャーです。仲間のみんなもすごく頑張っています。でも僕はちゃんとリーダーやれているのでしょうか。そう思えません。
なんかすぐ口を出してしまいます。もっと任せて、でも誰もやらない裏方の仕事はやってじゃないとね。そして大きな視点を失わずに。
期待の大きさのあまりに(そう思っているだけ??)、面白くしようとするばかりに、大事なことを見失っているような、そんな気がします。ただ面白くするようにするならば、できの悪いテレビ番組と同じようになってしまいます。その場だけの、嘘で心のこもっていないものに。いっぱいお客さんは招きますが、このパーティーは何が目的なのでしょうか。
1.僕らの卒業を祝うため。
2.一年間お世話になった人たちに来てもらって、お礼を言うためです。
面白くして、いじることもある意味お礼です。でもこの二つを見失いたくないですね。そしてあと2週間。インターンの仲間たちと準備を楽しみたいと思います。

2008年2月28日木曜日

人を動かす。

眼科の研修もあっという間に終了。
とても勉強になりました。僕自身斜視をもっていますし、ERでは多くの眼疾患を見ます。命、手足、視力は絶対に救わなければいけないものですからね。とてもいい勉強になりました。働いた先生もいい人。まだレジデントを終えたばかりみたいだけど、結構できます。東欧系の美男子だけど、Laid backでとても気が合いました。ぼくのやろうとしている救急医とはかなり違うspecialistという道も面白いものです。眼の手術なんてほんとに繊細だからね。白内障とか。

さああと研修は2週間の放射線科のみ。もっとも楽なローテーションです。これからは卒業式の準備で忙しくなるのでいいタイミングです。もう卒業なんだね。いい病院で働けて幸せです。最初はやっていけるのだろうかという不安ばっかだったくせに、最後は少し飽きていました。今になるともうここに立ち入ることもできないというさみしさがあります。どこかでここで出会った人たとまた仕事をしたいものですね。

これからはイベント目白押しです。Okinawan American Physician Societyの立ち上げと、ぼくらの卒業パーティーです。どちらも僕が責任者ということになっています。とくに後者は150人も集めて、さらに劇みたいなこともしなければいけません。上手くリーダーできるでしょうか。。。少し不安です。どうしてもmicro managerみたいに小さいことにうるさくしちゃうんだよね。もっとみんなを信頼して、任せて、褒めてやらなきゃね。人を動かすことを勉強しなきゃ。

2008年2月24日日曜日

お見合いリスト提出

しました。今月末が提出です。マッチングという仕組みですが、まあお見合いです。

僕ら候補者と、レジデンシープログラム側の双方が、気に入った順にランクをつけて第三者機関に提出します。それからコンピュータープログラムにかけて、ぼくら候補者に有利にお見合いをさせていきます。今月末が提出期限。コンピューターは数秒でこの計算をするようですが、結果はもう3週間教えてもらえません。まんじりともしません。

僕のランキングは奥さんと話し合って決めました。アメリカは二人で行きますし、3から4年は住みますからね。彼女が楽しめないところ、勉強できないところでは難しいです。まずは住む場所重視、その次には僕のやりたい研究のできるところを考えています。

僕は幸運なことに21か所からの面接招待(80か所に応募)をもらえました。面接した16個のプログラムのうち15個をランクしました。残り一か所は行きたくありませんので、ランクにはのせません。もしランクに乗せて、こことマッチしたら行かなければいけなくなってしまうのです。それは避けたいからです。結婚したくない相手はランクに乗せないのです。

プログラム側も必死です。あっちには少し不利な制度なので、お見合いに水面下の駆け引きが始まります。みんな本命と結婚したいわけです。僕にも5-6個ほどのプログラムから、打診が来ています。内容もそれぞれで、なんとなくほのめかすものから、ストレートにうちに来てくれみたいなのもあります。どれくらい信じていいのかはわかりません。

臨床留学までの道もついに最終段階まで来ました。このランクづくりはストレスは少ないですが、とても大事。ランクの付け方で今後の数年間は決まってしまいます。基本的には自分の結婚したい相手を順にランク、どうしても嫌な相手はランクしないのが原則です。まあどこにいっても僕の人生そんなには変わらないとも思いますが。。。

僕のランクは以下の通り。
1st: Brigham & Women's/Massachusetts General, Boston (ボストンは僕らの住みたい町NO1)
2nd: Beth Israel Deaconess, Boston
3rd: Univ. of Pennsylvania, Philadelphia (研究の強い大学、美しいキャンパス)
4th: Mt. Sinai Medical Center, New York (奥さんは都会大好き、でも生活費が高すぎ)
5th: Mayo Clinic, Minnesota (ど田舎ですが、すばらしいスタッフでした)
6th: State Univ of New York Downstate, Brooklyn (すばらしいスタッフですが、周りは危険すぎ)
7th: Yale, Connecticut (有名大学で研究が強いですが、すこし田舎)
8th: Univ. of Maryland, Baltimore (すばらしいプログラム、でも危険)
9th: Thomas Jefferson, Philadelphia (プログラムは少し弱いですが、場所よし)
10th: Temple Univ., Philadelphia (危険な立地。だけに忙しくて鍛えられそう)
11th: Emory Univ., Atlanta (とても忙しくて有名な病院、でも経済的に不安定)
12th: Orlando Regional, Florida (南国だけにlaid back。住むには悪くない)
13th: Henry Ford Hospital, Detroit (救急では一流プログラム。でもデトロイト。。。)
14th: Indiana Univ. Indianapolis (とても仲の良いレジデント。でも田舎)
15th: Michigan State Univ., Grand Rapids (手堅いですが、ホッケー以外にやることありません)
Not ranked: Penn State Univ. (ここは唯一malignantと感じました。行く気はありません)

どうなることやら。

2008年2月21日木曜日

医者の性格

これが最後から二つめのローテーション。海軍での研修もあと3週間となりました。1年長かったような、あっという間のような。いろんな事を学びました。

そう眼科ローテーションです。学生時代を含めてこれが初めてです。2週間だけですが、救急でみる眼科疾患を中心に学んでます。眼科って面白い。体のほんとに小さな一部なんだけど、やっぱり大事な臓器。僕も小さなころから斜視をもっているので、とても興味深いです。手術もあるし、眼科医も悪くないなと思ってしまいます。ただアメリカは数少ない人しかなれない、めちゃめちゃcompetitiveな科です。

沖縄には1人だけ眼科医がいます。元アメリカ海軍のダイビング特殊部隊にいたという人です。めちゃめちゃ美男子で、頭もいい、しかも教育熱心。けっこうlaid backですが、こんな人もいるのですね。日本と同じで、アメリカの医者も科ごとに性格が違います(ステレオタイプですが平均値をとると)。反論あるでしょうが。。。

例えばうちの病院だと、
内科医ーいちいち細かい、なんか斜にかまえている。
外科医ーいい意味で豪快。でも基本的に自己中。
救急医ー30秒以上一つのことに集中できない。仕事以外の時間が大事。
家庭医ーとにかくいい人。
小児科ーノーマル
神経内科ーかわりもの
整形外科-骨筋肉以外はまったくわからない。
マイナー系(眼科、放射線科、耳鼻科)ー奥さんが美人。

やっぱり僕は救急医かなと思います。

2008年2月14日木曜日

悲しいニュース

もあります。

皆さんもご存じかと思いますが、沖縄でまた悲しいニュースがおきました。
海兵隊員が沖縄の中学生を暴行して逮捕されました。

こんなやつはとってもじゃないけど許せないよね。
ただ同時に、一緒に働いたり患者さんとして対面している米国軍人、海兵隊員に僕は暖かい気持ちを持っています。若いだけにいろんな奴がいますが、でも基本的にはいい奴で、日本が好きで、礼儀正しい人たちです。でもこんなことがあると、すべてが台無しです。

この事件は再度、沖縄の一部でくすぶっている対米感情を燃え上がらせるでしょう。悲しいことです。
僕は日本人インターンとして基地の中で働いているので、いつも日米の間に立って、上手く間を取り持つことを仕事にしています。時に間に挟まれて苦しい立場ですが、ある意味外交官だと思います。小さな小さな日米の懸け橋だという自負もあるのです。どちらの国の人も好きなので、いい関係を築く手伝いをしたいといつも考えています。基地の中の米国軍人も多くは、日本をHost nationと考え、いい関係を作りたいと考えているんですよ。

今僕はDr. Mと仲間のインターンと、沖縄・アメリカ医師ソサエティというものを立ち上げようとしています。来月が第一回となります。ある意味悪いタイミング、でもいいタイミングにしたいと思います。少なくても医師だけの間でも関係を保ちたいですね。それは患者さんのためにもなりますから。

速報

たった今、いいニュースが来ました。今、興奮しています。

僕が第4志望にいれようと考えていたプログラムから、matchするポジションに入れようかと考えているというメールが僕のmentorに届いたようです。Mentorに僕がどんな人間かを最終的に確認したいみたいです。

ここは面接大失敗したと考えていましたので、ほぼあきらめていました。フィラデルフィアにあるペンシルヴァニア大学のプログラムです。ビジネススクールが有名ですよね。アイビーリーグの大学で研究は強いですが、臨床のトレーニングでは弱い印象です。ただ僕の重視するのは場所(美しい大学町にあります)>>研究の強さ>僕の未来との関連性なので、ここは高い位置にランクしています。

他にはメイヨークリニック、ニューヨーク州立大学、ミシガン州立大学からいい感触がきています。(どこまで本当なのかはわかりません)これがマッチング前の水面下の交渉なのでしょう。マッチングというお見合いプログラムは、僕ら候補者が行きたいところ(僕らに有利)に相手が望む限りは行くことができます。プログラム側は受け身なんですね。だからこんな交渉が行われるようです。

本当にこんなことをどこまで信じていいのかはわかりませんが、ここに行くことができれば夢のようです。できれば第1志望のBostonに行けることを願っていますが、来年渡米はまず間違いないようです(いつまでも楽観的です)。3月21日、僕の卒業パーティーの日に結果がでます。

でもどこに行ってもベストを尽くして、楽しむだけですね。良心に従って楽しむだけです。

2008年2月11日月曜日

立ち上げとパーティー

帰国後はなんとなく日が過ぎてしまいます。
こんなところで働くのは面白いことなのですが、人間なんにでも慣れますね。

最近は集中治療のローテーション。基地の中には若い健康なひとしか基本的にはいないので、あまり忙しくはありません。変人で敵も多い、ある意味名物なDr.Mと働いています。偉くて忙しい人なのであまり一緒にはいませんが、なぜか仲良しです。

彼と一緒に、インターンの仲間とともにOkinawan American Physician Societyというものを立ち上げようといま努力中です。沖縄の病院の先生と海軍のDrとの定期的な会合をつくって、交流、学会、教育などをもっと活発にしていこうというものです。政治的ないろいろな思惑も交じってきますので、すこし大人なことを勉強しています。まあこれも将来の日本人インターンと、大きく言えば日米友好に役に立つはずなので一生懸命やっています。個人的にはDr.Mが好きですし、彼は僕をここに入れてくれた恩人なので、恩返しの意味もあります。

さあ卒業式まで40日ほどです。はやく卒業したいような、このちやほやされる環境にいたいような。ただし卒業式・パーティーはこの一年で最大のイベントとなります。150人くらい集めるパーティーです。その目玉はインターンによるスキット。アメリカのレジデントの卒業式の定番のようです。劇みたいなのをやって指導医をこき落とすものです。下ネタははずれがないようです。あとはタブー(人種、政治、宗教)には気をつけなきゃいけないみたいです。これも楽しんでいきたいですね。

2008年2月4日月曜日

おめでとう。

僕の同期がまたひとりプレマッチしました!やったー!
いわゆる青田買いです。マッチングプログラム(第三者、まあお見合い斡旋みたいなもの)を通さずに、お見合いで気に入った者同士で結婚するようなものです。

アメリカの外科レジデンシーです。非常に入るのが難しく彼も大苦戦していただけに、本当におめでとうです。でも彼は人柄も素晴らしく、努力家で、受け入れられて当然です。彼でなくて誰をとるのでしょうか。僕もとてもうれしいです。これは彼にとってのスタートですが、科は違うとはいえ、これからも一緒に頑張っていきたいものです。

さあ、今季マッチングを目指していた同期3人。二人はプレマッチしました。残りは僕だけです。まあプレマッチしなくてもいいですが、望み通りのところに行けることを祈っています。きっとどこかには行けるとは思いますが、救急も人気だけに行きたい所に行けるかは全くわかりません。

結果が出るまであと6週間。できることは待つことくらいですね。まあ今の仕事に集中して、英語とさらなる勉強です。一生懸命やっていれば、なにはともあれ、結果はついてくるはずです。

とにかく、おめでとう!!

2008年2月3日日曜日

お見合い

帰ってきました。
たまっていた4週間分の仕事と時差ボケで忙しく、調子もいまひとつでした。
週末は休みをもらえたので、すこしゆっくり。
月曜日からが3時起床の生活となるでしょうから、それにあわせなきゃ。

ランキングの季節となりました。僕の長い渡米計画も最終章に入りました。
プログラム側も候補者に順位をつけると同時に、僕らも受けたプログラムに順位をつけて第三者機関に提出、双方をコンピュータープログラムにかけてうまく処理。まあお見合いみたいなものです。出た結果には従わなきゃいけないのです。
とどのつまりは誰と結婚するのかお互い順位をつけるということです。決まったら結婚しなきゃいけないのです。

というわけで締め切りまでの4週間、この子よりあの子が育ちがいいとか、第一印象がいいとか、金を持ってる、いいとこ住んでるとか、あーでもないこーでもないと考えます。
まあ僕の評価基準は場所>>第一印象>研究の強さという感じです。
だいたいTOP3くらい、下の2位くらいは決まっていますが、中間や8位争いなんかはとっても難しい。はっきり確信できるわけはなさそうですね。まあどこにいっても大きな違いはないのかもしれません。

それからTOP3くらいには、うちのボスたちに電話をかけて売り込んでもらっています。どれくらい効果があるか、(または逆効果?)わかりませんが、やってくれるというので喜んでお願いしています。Bostonに住みたいな。

海軍病院もあと6週間。目玉は来週からの集中治療ローテーション。きつそうですが、一生懸命楽しもう。あとは卒業式に向けての準備です。

2008年1月29日火曜日

長かった。

ついに終えました。この日を指折り数えていました。でもやっと来たね。

ほんとうにほんとうに長かった。孤独で、自信を失いそうに何度もなって、思い通りにいかないことばかり。同じことを壊れたスピーカーのように繰り返しても、理解してもらえないことばかり。そんな日々でした。もう2度と経験したくありません。

でも、本当に沢山の人にあって、幾人かのこれぞという人に感動し、とてもいい勉強をしたと思います。こんな辛い日々でしたが、なぜかやれるだろうという自信と、この国で挑戦してみたいという気持ちになりました。

戦績
面接 16か所
費やした日にち 55日
泊まったHotelの数 17か所
乗った飛行機の回数 21回
お金 いっぱい
出会ったDr 約100人
握手した回数 300回くらい
失敗した回数 countless
くじけそうになったこと countless
本物の人との出会い 5人
嬉しかったこと 数回

でもBestをつくしたとも思います。ここでやれることはやりました。
結果がでるのは3月21日。

そして新たなスタートです。

2008年1月28日月曜日

最終面接

これからです。

昨夜は病院のとってくれたホテルに一泊。デトロイトの中心地にある素晴らしいホテルでした。この病院はレジデントをとることに力をいれているのかもしれません。

今日は自動車王Henry Fordのつくった病院です。救急では歴史が古く名門のようです。面接に呼んでくれたのだから、失礼のないように力をつくすつもりです。今更、自分を無理に理解してもらおうとは思いませんが、せっかくのチャンスです。どんな人たちとどんな話ができるのか、楽しみにしていきます。

そうこれで最後。ながいながい旅ももう少しで終わりです。
3ピリの最後まで、集中します。

2008年1月27日日曜日

Pittsburgh

に来ています。紐育から車で6時間。
かつては鉄鋼で栄えた町。いまはビジネスと大学の町になっています。
聞こえはいいですが、山の中にある中程度の都会。治安はいいけど、とにかく寒い。
肌ががびがびになって痛くなりました。うまれて始めてローションを買ってつけてみました。

ここもピッツバーグ大という医学では有名なところがあります。面接呼ばれなかったし、まあここにはちょっと住めないね。よしとします。

今日は溜めていたThank you letterを一気に書きました。合計57通。疲れました。でも第一志望のところは少し気合いをいれて、念をこめて。あとは天まかせですね。結果が出るのは3月20日、僕らの卒業式の日です。それまではまんじりともしないですね。

これから海軍の同僚とここで落ち合います。夕飯でも食いますか。
早速シカゴで飛行機に遅れたようです。彼は沖永良部島生まれのアイランダー。いっぱい失敗しますけど、本当に憎めないやつです。愛すべき人ですね。彼はここで4週間ほどエクスターンをするようです。きっと大変だろうけど、頑張れ!

明日は車で大移動。五大湖のほとりのデトロイト。ヘンリー・フォードさんのつくった病院と面接です。さああと3回寝れば帰れます。長いなー。

2008年1月26日土曜日

終わりと始まり。

そういえば今日は誕生日。
30歳になってしまったんですね。一人で外国でほどほどに忙しくしているとまったく実感がありません。
わざわざ電話・メールしてくれた方々ありがとう。

人生もう30年過ぎてしまった。はやいものです。ばりばりやれるのはもう半分しかありません。まあ死ぬまでやりますが。いつ死ぬかもわかりませんから、一日一日自分の好きなことを貫きたいですね。それをできる自分、環境もつくっていかないと。

この20代は、僕にとって何だったのでしょうか。何も変わっていないような、成長したような。
大学で進路に悩み、就職活動をせずに勉強して医学部にはいりなおし、そして研修医。そこからさらに夢をあきらめきれずに海軍、米国への挑戦です。よくも落ち着かずにきたものです。振り返ってみると、よく頑張ったような、でももっとやれたことはいっぱいあったし、馬鹿な失敗もしたし、もっと成長できたとも思う。相変わらず自分に弱いし。これからの改善点ですね。ただ20代ずっと自分のために追い求めてきた海外への夢はきっとすぐそこにまできています。

30代前半は米国で勝負するつもりです。いい加減に腰をここで落ち着けて、異国の救急を、医療をゼロから学びたいと思います。きっといっぱい失敗して、日本に帰りたくなることも多々あり、でもたまにいいこともあり、結果すごくいい経験をすると思っています。そして終えてからが新たな僕の挑戦ですね。3年から6年米国で学んだことを、日本で活かせる道を探したいと思います。これはものすごく、ものすごく大変なことでしょう。できないかもしれません。でも、Boys, Be Ambicious! 夢はいつまでもでっかく、日本と世界をよいものにしたいですね。

30代もhungryに行きます。でもここで出会った幾人かの素晴らしい人々たちのように、夢をでっかく。自分のためだけではなくね。

2008年1月25日金曜日

SUNY。一喜一憂。

BrooklynのこれまたひなびたHotelの一室です。
ここのフロントは分厚いガラスで守られています。ここらへんの治安をうかがわせる悪い兆候です。
パトカーのサイレンもよく聞こえてきます。

ニューヨーク州立大との面接が終わりました。
結果は大成功、だと思います。これほどの手ごたえは初めてでした。正直いって、プログラムディレクターは僕を取ろうとしていたと思います。ぼくのゴールにとても興味を示してくれたようです。自分からプログラムを売り込み、僕にこんなふうに協力できるという感じ。ここまでなのは初めてなので単純に嬉しくなってしまいました。

このプログラムは忙しいそうです。貧困層、医療保険なし、銃、麻薬、不法移民、アメリカの影を背負う病院です。ただ臨床のプログラムとしては最高の立地です。さらにプログラムディレクターは臨床だけではなく、将来の研究、リーダーシップという人材を求め、育てたいようです。非常に情熱的な人でした。今までに出会ったすばらしいディレクターのうちの一人に数えられますね。

NYというのは非常に魅力的です。しかし病院の近所にはとても住めません。考えどころです。でも自分のゴールに共感してくれる人がいるのは、嬉しいことです。こんなプログラムで一生懸命働きたいですね。ただ、I want to work with you next yearとまでは言えませんでした。つい慎重になってしまいます。

少し流れが変わってきたかもしれません。嬉しいです。贅沢なことに悩ましくもあります。
一昨日のマサチューセッツ総合病院からも、一部のスタッフからいい返事が返ってきました。非常に人気のあるところなので、まったくどうなるかはわかりませんが、ここは素晴らしいプログラムでした。ここは第一希望です。
また11月にうけたGrand Rapidsというミシガン州の小さい町のプログラムからは、非公式な打診が来てしまいました。嬉しいことです。プログラムはしっかりしていましたし、ホッケーするなら完璧な立地。しかし僕の妻が耐えられないと思います。低いところにランクしていただけに、考えてしまいます。どう返事したら良いものか。ただ嘘はつかないつもりです。なかなかうまくはいきません。

いつの間にかに贅沢になってしまっていますね。しっかりしたトレーニングを受けられるだけで幸せです。謙虚さは忘れてはいけませんね。

明日はピッツバーグへ。海軍の同僚と落ち合うつもりです。
そして犯罪率トップクラスのデトロイトへ。最後の面接です。あと一息!!

2008年1月24日木曜日

Yale

14個終わりました。今日は途中でほんとにくたくたになりました。
周りの医学生も同様みたい。

Yaleは感触はかなりイマイチでした。一人のディレクターとはかなりウマが会いましたが、他はどうかわかりません。(これまでのところ波長があったのはMayo, Maryland, MGH/BWHくらいでしょうか。ほかはけっこうダメだったような。。。)International Emergency Medicineや研究に強いプログラムなのでそこが魅力です。ただ、New Havenという立地だけがネックです。NYから1時間ちょっとですが、でも田舎。治安もよくありません。すでにインターンとして日本人のA先生が働いています。お会いすることはできませんでしたが、電話で率直な話を聞くことができました。僕のなかではMGHが一番ですが、ここも良さそうです。そうとう贅沢ですけどね。

そして今夜は紐育Blooklynにやってきました。明日はニューヨーク州立大学との面接。かなりの野戦病院のようです。このホテルの周りも夜はとても歩ける感じではありません。明日の病院は外傷・中毒があふれているでしょう。とても病院の周りには住めませんが、鍛えられることは間違いなし。ただ僕の求めるものは単なる臨床トレーニングだけではありません。研究やfaculty developmentなどのプラスαを持つプログラムを求めています。どれだけあるか見てます。

さああと二か所。ともに危険な場所なのでキャンセルしたくなる気持ちもありますが、疲れ果てているのは皆一緒です。折角の機会ですから楽しみます。

2008年1月23日水曜日

I shall return, Boston.

New Havenのひなびたホテルで書いています。
BostonとNYの中間にある小さい町。大学しかなさそうです。

今日はMass Generalを終えてきました。
本当に呼ばれて良かった。土壇場になって呼ばれましたが、とてもいいプログラムでした。
スタッフの人たちが素晴らしかったです。ハーバードだけにもっとスノビッシュなのかと思っていましたが、皆気さくで気取りません。しかし柔らかい物腰のなかにも、強い知的好奇心と、若手を育てようという熱意をみました。やはりこの国の本当にできる人は桁が違うんだよね。Mayo, Harvardは世界を良いものにするという使命を本気で持っています。ただ同じ大学でも先週に行ったBeth Israel Deaconessは全然違います。

とにかく非常にいいインタビューでした。僕が来たことをとても歓迎してくれましたし、僕の目標をよく理解してくれました。僕の求めるものがここにあります。こんな病院で働くことができれば僕はハッピーになれると感じました。Bostonは美しい街だしね。まあ全米でもっともCompetitiveなプログラムですから、外人が入り込むのはかなり厳しいでしょうけど、なんとなく手ごたえを感じて、今日はとても気分が良いです。ここしばらく面接が上手くいかずに自信を失っていましたが、簡単に自信を取り戻してしまいました。こんなんだからだめなのですね。 とにかくいろいろな人の援助と、見えない力のおかげでここまで来れたと感じています。一人でここまではこれません。ありがとう。

そして、またこの病院に戻ってくると心に誓って、Bostonを発ちました。
さあ、明日はYaleです。どんなスタッフと会えるかが楽しみです。さああと3つ。楽しみたいと思います。

2008年1月21日月曜日

3ピリの前に、

面接旅行も終盤戦にかかってきました。あと4つ。4分の1です。

これは今までの人生の中での最大の挑戦です。

いままでもRugby, Ice Hockey, 医者になること、いろんな事がありました。どれも頑張ったと思います。ただこれは少し違います。自分から逃げないできた結果です。


医学部3年のとき岡本太郎の本を読み、決めたのです。(いまでもこれは僕のバイブル。面接旅行のいまも傍らに置いています)逃げないで自分を克服しよう、自分の心の羅針盤に従おうと決めて、ここまで来た気がします。僕は彼の「芸術は爆発だ」という有名な言葉を自分なりに理解しています。芸術とは生きること、爆発とは生きる中でいのちを燃やすこと、と。



英語から逃げて一生を送ろうと思っていました。いつかは世界を舞台に働きたいという気持ちを心の奥底に押し込めていたのです。でも本当にやりたいことをやることに決めました。アイスホッケーと同じようにアツくなれることをしたかったのです。自分のいのちの灯が消えていくことが許せなかったのです。米国という舞台で(なんでそこなの?ということは難しいです。でもそう思わせてしまうのが、この国のすごいところです)、好きな救急という分野で、アツく戦いたかったのです。そう、心の底から日本の医療のために行く!というわけではありません。これをしなければ後悔するからするからです。もし今普通に日本で働いていたら、鏡を見て思うでしょう、「これが自分のしたかったことなのか?」と。教授とかに、「そんなんでアメリカ行ってもね。昔もそんな人たくさんいたけど、日本の医療は変わらなかった」とか言われても、これは僕の人生だから。あなたの人生を生きるわけにはいきません。そんな暇はないのです。



来年渡米できるかもわかりません。行けたとしてもどこで働くのかも。アメリカから帰ってきてからはどうなるのか。救急を専門にしますと言うとみんな怪訝な顔をします。「格好はいいけど、それって専門?」みたいな感じです。奥さんには悪いけどいつまでも波乱万丈です。歩いている人のまばらなけもの道ですが、歩きたい道ですから。



ただ日本に帰ったら、日本の救急医療に恩返しをしたいと思います。この面接旅行はそれを考えるいいきっかけとなりました。自分の心の声に耳を澄ませること。仲間を作ること。素晴らしい人・プログラムとの出会いもありました。あるプログラムは本気で救急のリーダーを育てることを目標にしています。僕もそのような人と働き、背伸びして、すこしでも近づけたらと思います。いままで支えてくれた家族・友人、自分を育ててくれた医師・患者さん、亡くなったMのため、そして自分のためにね。

さて3月20日に結果が出ます。でもそれは二の次です。勿論すばらしいプログラムに入れればそれもいいです。そんなことは僕の人生にとってはちっぽけなことのはずです。そんなことでハクがついてしまうほど、僕の人生そんな卑しくありません。岡本太郎も言っています。「人間にとっての成功とは、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか」なのです。まだ1週間ありますので、まだ少し努力をします。



3ピリで残り時間が少なくても、負けていても、最後まであきらめません。これは昔からの僕のポリシーです。大事なのは試合に勝つことよりも、最後まであきらめないで、希望を捨てないで、戦うことなのです。そこに価値があります。


まだ試合は終わっちゃいません。俺はこんなものじゃない。

Boston --> NYC --> Boston

Bostonで3泊。久しぶりにゆっくりです。
隣町のCambridgeのハーバード大学などを見てきました。かんぜんにお上りさん。
ここはアメリカというよりもヨーロッパ。川もあり、美しい街です。ここに来年住めたらいいな。
もしだめでも、いつかはここに来るという目標ができました。

奥さんをJFKに送るために紐育へ。一泊だけする。やはりここは段違いで忙しい町です。
歩く人も足早です。

そしてまたBostonに戻ってきました。肌をさすような寒さです。
先週の雪もまだ残り、街を彩っています。今はLongwoodという閑静な住宅街にとまっています。
Harvardの医学部関連の集まる場所、そこで働く人が住んでいるような感じです。

今週は3個の面接。
火曜:マサチューセッツ・ジェネラルホスピタル
水曜:イエール
木曜:ニューヨーク州立大
と連チャンです。でも慣れました。移動も少ないし、そんなに負担ではない気がします。

もう少しです。がんばろう。

2008年1月20日日曜日

べス・イスラエル・ダーコネス病院, and CHIN UP!!

が終わりました。ここはハーバード大学系列です。
よく自分が面接に呼ばれたものです。それだけでもすごいことです。
プログラム自体は非常にアカデミック。臨床もそんなにはわるくはありません。
まあ8割がたのプログラムは臨床のトレーニングとしては大差はありません。
違いは、場所、研究の強さなどできまります。なのでとても忙しいくてトレーニングになるといっても、場所が悪いところは少しきがひけます。まあ贅沢は言えませんが。
今回のプログラムは、場所は最高(ボストンは好きです、寒いけど)、アカデミックにもかなり強いです。ここは第1希望かなー。でも、面接はいままででもっともイマイチ。最初の面接でかなり躓きました。非常にいい面接をされてしまいました。自分のぼろが出た感じ。
自分について深く考えること、用意することを怠っていたと今はおもいます。情けないことです。準備不足だったと思います。


これで16個の面接のうち4分の3をおえたことになります。あと4個もうひとふんばり。
なんか最近面接の手ごたえが全然ありません。興味をもってくる相手が少ないようなきがします。
気にしすぎかもしれません。最近はbe myselfにこだわりすぎて準備不足でした。しっかり準備した上で、自信を持って自分を出さなきゃです。


まあ3ピリといったかんじです。少し点差があるかもしれませんが、このままでは終わるわけにはいきません。自分はこんなもんではない。最後まであきらめません。Chin Up!!

2008年1月16日水曜日

Penn終了。そしてBostonへ。

今日はペンシルバニア大学病院との面接でした。
結論から言うと、手ごたえなしです。
今までで一番うまくいかなかった気がします。

何回か気を取りなおそうとしたのですが、上手くいきませんでした。リズムというか波長というか、そういうものが合いませんでした。このプログラムがどんな人をとりたいのかというのもいまいちわかりませんでした。それも一因かもしれません。レジデンシー自体は名門大学の割にはlaid-back。でも方向性が見えません。アカデミックなのか、レジデントのハッピーさを追求しているのか?面接がうまくいかなかったこともあって、僕から見たプログラムの印象も良くありません。まあ場所と雰囲気は素晴らしいので、とってくれるならば勿論行きます。ロゴもかっこいいしね。でも脈なしかな。。。

さあ明日はおそらく第一志望となるところです。
Phillyを起って、Providenceへ。そこから一時間のドライブでやっとこのBostonにつきました。町は雪化粧していてとてもきれいです。明日はBeth Israel Deaconessという病院です。House of Godという小説の舞台にもなった病院。ハーバードの付属です。ここはアカデミック、international emergency medicineの強い病院。僕の求めるものがここにありそうです。きっと相手も僕のような人材が欲しいと信じています。まあここまでやれることはやってきました。小細工は関係ありません。気合いで自分を出すだけですね。

2008年1月15日火曜日

またまたPhilly

今回は大学町にあるHiltonに宿をとりました。すこし贅沢です。
ペン大が持っているらしく、とてもシックです。

Ivy Leagueの名門だけに、キャンパスもとてもきれい。歴史を感じます。アメリカというよりヨーロッパみたいな感じです。それから、学生町だけに結構おいしいアジア料理が多いです。
こんなところで勉強・仕事できたらいいですね。

明日はここと面接です。
自信をもってぶつかります。小手先ではなくて人間力で(あると信じて)勝負です。
Be confident and be enthusiastic!!

摩天楼

ここも2カ月ぶりです。

奥さんが今日から旅行に参加です。JFKでさっそく白タクに捕まったようです。本当にお人好しです。
ホテルはアッパーウエストにあるホテル。おしゃれにしていますが少し狭い。まあこれがマンハッタンなんだよね。

翌日はCentral Parkで散歩。犬がいっぱいです。来年はここでうちのくーまを散歩、できたらいいですね。夜はBroadwayでMusical。完全におのぼりさんです。Rentというトニー賞をいくつもとったものを見たのですが、大失敗でした。これはいけてません。

次はPhillyにトンボがえり。ペン大との面接です。

Jefferson

Phillyの中心にある学校です。
とてもきれいな病院を持ち、患者さんも富裕層が多いそうです。

まあ面接はいつもどうりです。プログラムディレクターが最近変わったそうです。その前は少し問題があったような話しぶりでした。患者さんの数は少なそうですが、彼はとてもいい人。トップにランクする気にはなりませんが、場所もいいから働いてもいいかなというプログラムです。

15分の面接を5人と。15分なんか本当にあっという間。アピールするのも大変です。
しかし結局、30分もすれば何を話したかなんか何も覚えちゃいません。あの人はいい人だったなとかそういうことしか残りません。
そう僕にやれることはいかに印象を残すかです。何をしゃべるかではありません。自分にオーラがあると信じて、アツくいくだけですね。

そういえばインターンも待ち時間にやってきました。あまり話を聞かなかったのが反省点。勿論彼も僕らを評価しているのですから。
自分も周りの学生もそろそろ面接に疲れてきたようです。みんな少しテンションが低い。こんなことではだめだね。テンション低くしては楽しくないし、僕はまだ6つもあります。

面接が終わってからは、すぐにグレイハウンドバスに乗ってNYに。

2008年1月11日金曜日

僕とメジャーリーグ

戻ってきました。やっぱりこの街は親しみがあります。ホームって感じ。
今日は中心街に宿をとりました。11月に働いたところとは全然雰囲気が違います。
古いアメリカの町です。とても素敵です。Penn大学のあたり歴史の重みがあるんだよね。
僕はこの町が好きです。

相変わらず人気のないけもの道です。でも歩きたい道です。変なストレスいっぱいですが、やりたいことやっているのです。そう僕の海外留学の夢は、おそらく英語にたいするコンプレックス、太平洋の彼方の幻想(根拠のない)から始まりました。今は教育に良い環境?を求めるということよりも、まったく違う環境で、腕一本、心意気一本でどこまで行けるかというチャレンジです。あと1年の命と言われたら、まずこれだけはやらなきゃいけません。(胸を張って日本の医療のためだ!とは言えません)まるで野球選手が大リーグに行くみたいですね。僕はまだまだそんなにすごくはないけれども。。。そう日米の野球はどっちが素晴らしいとかではないはずです(ポイントポイントの良し悪しはあっても)。たしかに違いはあります。どちらでトレーニングしても良い選手になれるはずです。ただし、世界中から頭脳の集まってくるこの国で真剣勝負で揉まれることは、絶対に素晴らしい経験になるはずです。


何年この国にいるかはわかりませんが(もうマッチする気でいます。。)が、結果として日本に帰って、日本の医療をよくしたいと思います。こんな変な経験もどこかで役に立たせることができるはずです。なんていってもこれまで僕を育ててくれた人・友人の恩返しに、そして亡くした友人と患者さんのためにも。これはぼくにとっての北極星みたいなものですね。


さあ明日はホテルからすぐ先のJefferson大学との面接です。これからいわゆる一流どころ(ハーバードX2、イエール、ペン大、ヘンリー・フォード)が続きます。

でもね、やることは変わらないはずです。
そりゃあ日本でも名がとおるところならハクもつきますが、教授を目指しているわけでもありません(医局というシステムで働けるほど我慢の出来るほどのじぶんではありませんしね)。どこにいってもベストを尽くすだけです。結局は、人間力と、どんなところでも努力してトレーニングを積むことが大事です。ヤンキースとかレッドソックスでプレーするのもかっこいいけど、ロッキーズで頑張った松井はすごいですからね。いつも通りの自分を出して(面接は小手先のテクニックではありません。人間と人間のぶつかり合いです)、自分と家族がHappyになれるような相性のいいプログラムを探すだけのことです。

いろいろな街を訪れて、たくさんの見知らぬ人に会って、ストレスで腹痛くなって、いっぱい失敗して、そんな贅沢な時間をあと3週間過ごせます。
人気のなくて、デコボコだらけで、先もみえない道ですが、自分の選んだ道です。後悔はありません。ずーと先の北極星は見失わないように、そして近づけるように歩きます。

2008年1月10日木曜日

アトランタの夜

といっても、ただ時差ボケで眠れないだけです。朝3時ですが、目がさえています。

今日はアトランタの中心地(結構危険みたい)にあるEmory大学のプログラムに行ってきました。とにかく評判どうりの忙しい!Crazyな病院です。いいトレーニングにはなりそうだけども、働くのはストレスフルな気がします。システムは古いし、狭いし、臭うし、患者はあふれかえっています。通路までベッドでいっぱいです。これぞアメリカのERって感じ。いろいろな問題を抱え込んでいます。でも研修医として鍛えられることは間違いなしでしょう。またアトランタは都会なので住むには悪くないです。

明日はNew Orleansに飛ぶ予定でしたが、新たな面接(なんとMass General!)が入ったので、急遽キャンセル。折角呼んでくれたのをドタキャンするのはやっぱり申し訳ないです。でもNew Orleansはね、家族で住みにはちょっとって思います。

明日はまたPhillyに行くことになりました。知ってる町は心強いですね。

2008年1月9日水曜日

アトランタ

オーランドの面接が終わりました。
いつもいつも行く前は緊張します。やってしまえばどうってことないのですが。
ひさしぶりの面接でしたが、まあ要領は同じです。でももっともっとアピールしなきゃかな。
オーランドは住むには良さそうなところでした。天候はまさに沖縄。病院もきれいだし、レジデント、スタッフともにフレンドリー。家族で働くならば、まあOKだね。

面接後、すぐアトランタへ。
明日はEmory大学のプログラムです。
アトランタのダウンタウン、治安が悪いところにある病院です。アメリカ有数の野戦病院だそうです。ここで働くことになれば外傷・中毒、めちゃめちゃ鍛えられるでしょう。
面接が楽しみです。

明日終われば一日の休みです。頑張ります

2008年1月8日火曜日

Orlando

那覇→羽田→成田→NY→やっとOrlandoにつきました。
さすがにくたくた。明日面接ですがまったくやる気が出ません。

さすがフロリダ。ここはあったかいです。沖縄とおんなじです。
ディズニーワールドとかで有名ですが、僕は24時間以内の滞在。
またまた面接だけです。Orlando Regional Medical Centerというところ。
1月の面接シリーズの一発目。アップと思っていきます。

体力的にはかなり厳しい旅行ですが、まあこれも試練だと思っていくしかありません。
あとになってみればいい思い出になるかな。
プレッシャーは逃げても逃げてもかかってきますから、ポジティブに楽しみたいと思います。
面接はやってみれば意外と楽しいものだとおもいこんでね。

2008年1月2日水曜日

要領

2007年、
いろいろな変化が自分にあった年でした。
異文化で働いた経験、幾つかのいい出会い。
医者という意味でのトレーニングは勿論勉強になりました。それ以上にチーム・人を動かすことと、折衝、医療の裏方さんのことを学んだと思います。英語はまだまだです。。。

もうすぐ30歳になりますが、いつまでも青いことを言います。
ここ近年、他人のことに感動して涙腺がうるむこともありますが(年とともにゆるくなっている?)、自分のことでうれし涙、悔し涙を流すことがことがなくなっています。学生時代のアツさはどこに行ってしまったのでしょう。ここ近年で一番それに近かったのは、沖縄で働けると決まった時かな。
いまやっている職業に不満はありません。医者をやめることは絶対にありません。遣り甲斐もあります。ここ一年で履歴書に書くことがとても増えてきたことも確かです。いい経験をいっぱい積んでいる証です。ただ、涙を流すほどそこまで一生懸命やっているかな?こんなそこそこ楽しく幸せな生活でいいのかな。要領のよさが逆に仇となっています。こんな人生でいいのかな。こころがさび付いちゃうよ。

今年まずは3月20日のマッチデーが一つの山場。夢であったアメリカでのトレーニングが決まります。hungryにfoolishに追い求めたものです。でもゴールではもちろんありません。
そしてもし行くことができるのならば、また医者組織の底辺から再スタートです。そこで一人一人の患者さんに全力を尽くしていきたいです。そこが僕らの存在意義。いつもJAMAという米国のジャーナルの言葉を考えます。"Patients are always our top priority." 反省です。

また、僕の尊敬する幾人かの医師は言います。医者は心の中にいつまでも光り続ける患者さんとのやり取りがあるといいます。だからあんなに働けるんです。
僕にはそんな経験はかろうじて一人あるかないかです(0.1人くらいかな)。主治医だったM先生にはとてもとてもかないません。99%の熱傷。あの時は一生懸命でした。僕が他の病院に移った後、生きて退院したそうです。信じられないほどの医療スタッフの努力・医療費・患者さんの頑張りです。あれは奇跡です。ぼくはまだまだ修行が足りません。

自分の良心に正直に、誠実に。心を込めて。謙虚でいること。国境を問わず求められる人はこうですし、自分を満足させる方法もこれです。