2007年12月22日土曜日

ハブ・ピット

べつに蛇の話ではありません。

この病院もあと3か月で卒業になります。同期で卒業式の話し合いをはじめました。
昨夜は同期と早速下見です。
ハブ・ピットという沖縄かつアメリカっぽいレストランです。
普天間基地の中にあり、一回は入ってみたかったので早速行きました。

アメリカで仕事をすることはあっても、もう基地の中での生活は二度とないでしょう。
(市民権とって米軍に入らない限りは)今はそのありがたみというか貴重さは全くないですが、せっかくだから、あと3か月楽しまないとね。とりあえずは将校クラブとかプールとかいってみたいです。

帰国してからもう4週間。変化も少なく、中だるみの生活で、ネガティブな気持ちを抱えていたような気がします。遅刻したりして。また2週間で渡米ですが、気持ちを切り替えないとね。病院はクリスマス休暇、僕らは正月休暇をとるこもとあってあまり働きませんが、楽しみたいと思います。

2007年12月5日水曜日

なかだるみ

帰ってくると、それなりになんとなく忙しいです。細かいことで時間がなくなるようです。
ということで日記の優先順位が下がります。

完全にこの海軍病院での生活、中だるみにしている気がします。責任のない生活に疲れました。学ぶことより、実際に働きたい!という気持ちが強いのです。日本で働いていたら、勉強する時間はなかなかとれません。こんな悩みは非常に贅沢なのかな。

コアのローテーションも終わり、今は選択だけの時期となっています。僕は救急医なので、今は整形外科を勉強中。他にもいままで体系的に勉強してこなかった耳鼻科・眼科・放射線などを回る予定です。

そうだよね。これって大きなチャンスなんだよね。整形的疾患は救急で見る疾患のかなりの部分を占めます。そして、ここは僕の大きな弱点。頑張って学びます。けっこうおもしろいしね。整形外科医になるのも悪くない気がします。ただもっと積極的に患者をとっていこうかと思います。患者さんが教科書というのは本当の話です。学ぶことに集中できる貴重なチャンス、楽しみます。

書いているとやはり気づきがあります。自分を振り返ること、その機会をつくることは大事だね。

2007年11月28日水曜日

弱点露呈。

帰っていてからもいろんなことがあります。
結構忙しくしていました。

整形外科のローテーションはそんなに大変ではありません。

今日僕のmentorからまあまあショックなメールがありました。
おそらくMaryland大学のプログラムディレクターと彼がメールでやり取りしていたと思うのですが、Koheiは英語力が心配だ、と書かれていたそうです。あれで患者をさばけるのか、との疑問です。residentとしてとるにはHigh risk, High potential typeだとのこと。High potentialと言ってくれるのは嬉しいですが、そんなにHigh riskかなー。長い目で見てほしいとも思うんだけども、まあそう思われてしまうことは問題です。優秀な候補者はいくらでもいるのだから、High Riskなものを進んでとることは責任ある人はなかなかできないよね。他のプログラムでも同じことを思っているでしょう。これは大問題です。

そんなにその人との面接で失敗したとは思わなかったんだけど、あっちは僕のカジュアルな会話力に不安を覚えたみたいです。たしかにここは僕の弱点です。他の面では自分の良い面をアピールできて、それはかなり評価されています。ただしこれは致命的、でも改善できる数少ないものの一つ。次の面接まで6週間ほど。できる限りのことをするしかありあません。対策を考えなきゃ。英語の環境にしばらくいてもスピーキングは全然伸びません。

1.積極性をもってもっと話す。たしかに僕は人見知りだし、そんなに喋りません。でも練習だと思って、ここでは失敗してもいいところなのだから、どんどんしゃべらなきゃね。

2.完全に英語の頭にする。折角恵まれた環境をフルに使わなきゃ。インターン、家でも英語を徹底。

3.基礎力をつける。いくら話す機会があってもこれがないと伸びません。僕は逃げてきただけにこれが弱いです。一般会話のパターン、語彙を増やさなきゃいけません。自分で勉強ですね。とりあえず本を買ってきました。買っただけで安心してはだめですね。

がんばるぞ!

2007年11月26日月曜日

親友を亡くしました。

医学部で一つ後輩だった彼です。小児科医としてのスタートをきったばかりでした。しかし先週、自らの手で命を絶ったそうです。子供の未来を守る貴重な人材が失われました。

彼は僕を慕ってくれていました。腹を割ってよく話しました。一見、不真面目に見えますが、不器用ながらも自分と向き合う勇気のある男でした。 しかし、彼の苦悩は自らの命を絶つほど暗く深かったのでしょう。

先月、彼からメールをもらっています。精神的に追い込まれ小児科医局を辞めるとのこと。しかし、お互い前に進もうね、とやり取りをしていたのに。僕ももう少し何か出来たのではないかと考えてしまいます。せめてもう一通メール書いていたら。しかし、彼は帰ってきません。誰を責めたらいいのでしょうか。どうしたら、こんな悲劇を防げるのでしょうか。彼の死は海面に現れた氷山の一角にすぎません。

日本の医師は高いプロ意識を持ち、昼夜を問わず、休日を返上して患者のために働いています。ただし若い医師の教育はどうでしょうか。限界なく働く労働者という存在だけではなく、未来の医療を担う存在として教育されているでしょうか。そのシステムはあるのでしょうか。過大な重圧のかかる若い医師を守るシステムはあるのでしょうか。

自分は日米双方のシステムの中で教育を受けています。日本の医師育成は個々の努力に負うところが大です。そのなかで身体的・精神的衛生はほぼ無視されています。一方で、米国では医師卒後教育は第3者機関のもと管理・標準化され、若い医師は労働者としてだけではなく教育される存在とみなされています。 例えば、患者・医師双方を守るために、米国の研修医の労働時間は週80時間以内と決められています。これらを守らない研修プログラムはその認可を取り下げられます。

どちらのシステムが優れているという問題ではありません。ただ、医師個々の努力に過大に負う現在の日本の環境、これではさらなる悲劇を招くことは必至です。同じ医師として、患者・医師双方が幸福になることができるシステムを考え、そして現況を変えていきたいと思います。我々は彼の死を無駄にするわけにはいきません。

2007年11月25日日曜日

ニューヨーカー?

JFKでこれを書いています。
過ぎでしまえばあっという間の4週間。でもいろいろなことがありました。

昨日はNYのマウントサイナイを再度見てきました。Second lookというやつです。実際どんなふうに働いているのかを見るのが目的です。ここには日系人の先生がいます。日本語は全く話せない完全なアメリカ人です。その先生はとてもいい先生。この人のおかげで面接まで行けたのです。面倒みてもらってます。

昨日行った病院はマウントサイナイの関連病院、Elmhurstというクイーンズにある病院。まわりは移民ばかりなので、患者さんは本当に多様。ここで医療をするのは大変でしょうが、ある意味エキサイティング。変な病気もくるからね。

ただここのレジデントは???と思うこともいくつか。僕のプライドが高いからいけないのかもしれませんが、蘇生の現場で?と思うことが。でもニューヨーカーはそれでも主張します。いかにも何でも知っているかのようです。これは僕の東海岸人にたいする偏見なのかな。

この国にはとてつもなく素晴らしい人もいます。桁違いな感じです。僕も憧れます。ただ、そうでない人も非常に多いです。興味深い国です。やはり日本人は平均的に「勤勉」なのかな。それはそれで素晴らしいことだよね。

就職活動は6週間ほどお休み。しばらくは研修生活に戻ります。うれしいです。

2007年11月23日金曜日

ThanksGiving Day

なので今日は全米が休日。感謝祭というやつです。クリスマスに並ぶでっかい休日みたい。
アメリカにきた初期移民のインディアンとの交流とか、収穫に感謝とかいった意味があるようです。
みんな家族のもとに帰って、一緒にTurkey食べるようです。

僕も何もせず、家でボーっとしています。僕は忙しくしている方がいいようです。オマリー家はお父さんが亡くなられたということで、パーティーはキャンセル、NYの実家に帰られました。

明日はマウントサイナイ病院の見学に行ってきます。これで本当にお終い!
他の人たちは明日からのセールに行くそうです。日本の初売りと同じですね。

土曜日にNYから発ちます。早く日本に帰りたいです。

2007年11月22日木曜日

前半戦終了。

ついに終えました。面接前半戦。7個終了です。あっという間ですね。
あとは1月に10個弱。

頑張ったと思います。失敗もあったけども、とにかく少し自分をほめます。
自分のご褒美に、港町ボルチモア名物crab cake sandwithchというカニのハンバーガー。
Dinnerは一人で中華料理(チャーハンと野菜炒め)で祝杯です。チップも少しだけはずみます。

どこに行くかもわからないし、何をしてるのかって思うことも多々。
でもね、1か月頑張った自分は評価できます。悔いはありません。
結果はどうなるかわかりませんが、ベストを尽くし、いい出会いも少しありました。
アメリカはいろんな奴がいます。でもとんでもなく素晴らしい人もいるんだよね。
Mayoのチェアマンとプログラムディレクターには心が動かされました。

来年から最低3年間、もっと長いかもしれませんが、この国で挑戦してみたいと思います。
きっとどこかのプログラムには入れるかと思います。(自信過剰?)
そんな人たちと働いて、ある面で厳しい環境に自分を置いてみたいのです。(もちろん日本で働くのだって厳しいですが。ある意味ではずーと厳しい)
そして将来の日本の医療に貢献できたらいいなと思います。なんとも青い文章です。

お腹一杯で、疲れも出てきました。今日はおしまい。

2007年11月21日水曜日

これで最後

またボルチモアに戻ってきました。小さな横浜、シドニーといった感じです。
前回はオマリー先生と港に来ましたが、もう3週間たったのですね。ずーと前な気がします。
いろんな事がありました。最初の面接なんて3か月くらい前なん気がする。
よくここまで来たものです。自分が英語で面接するなんて昔は考えもしなかった。

あしたの面接で11月は終わりです。
Mayoがあまりによかったので、気が少し抜けました。
でも折角呼んでくれたのだから、しっかりやらないとね。ここに来るかもしれないのだから。
ただアメリカの危険さに疲れてきました。やはりこの国は少しおかしいです。まあ日本はいい国です。
安全な所に住みたいな。

2007年11月20日火曜日

世界のリーダーを育てる

Mayo Clinicとの面接が終わりました。
クリニックとはいっても町ひとつが全部病院みたいな感じ。しかも超豪華です。Miloとかアンディー・ウォーホルの絵が普通に飾ってあります。とんでもないところです。圧倒されました。さすがに常に全米Top3に入る病院です。

プログラムも素晴らしかったです。まずそのChairmanの言葉に朝からしびれました。
曰く「我々のミッションは、患者の利益を常に第一に考えること、そして、世界の救急医学のリーダーを育てること」です。こんなこと本気で言うんですよ。僕はまじでしびれました。日本とはケタが二つ違います。アメリカの中でもこんなこというプログラムはありません。あまりに感動して、緊張してなかったのに、面接では顔がぴくぴくするくらい緊張してしまいました。

プログラムディレクターの女性も素晴らしい人です。こんな人がいるならば、このプログラムはどんどん良くなっていくでしょう。また多様性というものをすごく大事にします。本当に器がでかいんだね、このプログラムは。ここは僕のような外人でもその経験を大事にしてくれるのでしょう。どんな奴からも貪欲に謙虚に学ぶ、その姿勢がこのような医師たちを作るのでしょう。すごいことです。プログラムディレクターの反応もすごく好意的でした。他の面接官で、質問を完全に勘違いしたほかはなんとかやったと思います。ここで働けたらいいな。

街ははっきりいってど田舎です。奥さんが納得してくれるかわかりません。でもこんな病院ならどんな医者でも働きたいはずです。もちろん患者さんもここにかかりたいでしょう。

6か所見てきましたが、ここが一番です。二番目はIndiana Univ。あそこもいいプログラムでした。僕は中西部の人間が好きみたい。東海岸は、日本人の僕にはすこし強烈過ぎます。

さあもう一か所です。Maryland大学。ここも非常に救急では名高いプログラムです。面接は貰いましたが、外国人をとるつもりはあまりなさそうです。いい加減日本に帰りたいな。

2007年11月19日月曜日

ROCHESTER

はるばる来ました。ミネソタ州ロチェスター。
どこそれって感じだよね。僕もちょっと前まで知りませんでした。

とにかく寒くて有名です。
Mayo Clinicという病院でも有名ですが、病院しかない町です(ほぼ)。
でもとにかく金持ちの病院なので、施設はとんでもない。日本でこのクラスの病院はここ50年はまずはできないでしょう。

ここの救急レジデントの面接に来ました。このプログラムは世界のリーダーを育てることを目標としています。その志がすごいよね。すでに多くの外国出身の医師が働いています。2年目のレジデントとして、僕の病院の先輩、S先生もいます。今日初めてお会いしましたが素晴らしい人です。きっと日本の救急医療のリーダーとなっていく人でしょう。僕にその器があるかどうかはわかりませんが(なろうとすれば、チャンスはあるかもしれませんが)、是非このプログラムに入れたらと思います。町は少し田舎すぎますが、レジデントはフレンドリーでいい人ばかり、施設もすごいです。明日何人かのアテンディングと面接です。どんな人たちか非常に楽しみです。まあ自分をぶつけてみます。

昨日、自分を整理したのですっきりしました。明日の面接が楽しみです。
がんばろう!

2007年11月18日日曜日

なんで、僕は、こんな道をゆくのだろう。

少し考えてみようかと思います。たまにはね。とてもとても個人的なことです。
いま歩いている道を確かめてみないと、「僕は本当にこの道を歩きたくて、あそこに行きたいんです」っていえません。自分を偽れません。

僕はもう医師4年目です。もうすぐ30歳になります。言い訳のできないほど大人のはずです。いい加減中堅の医師として、結構何でも出来て、責任もあって、忙しく(楽しく?)働いているはずです。ところが、それほどの実力があるとも思いません。臨床能力を磨くようなしっかりしたトレーニングからは少し離れています。

なんで、わざわざアメリカに行ってトレーニングを受けるのでしょう。わざわざ別の試験受けて、大量の時間とお金とまわりの人の理解に助けてもらって。仕事しないで、英語の面接受けて、こんなことに神経使って。大部分の人から見たら、「無駄」ってやつです。時々、僕もそう思ってしまいます。逆に贅沢とも言えますが。

「こんな道を歩く」一番の大きな理由。正直言って、英語に対するコンプレックスがあったからだと思います。中学から大学まで英語から逃げて生きてきました。一生英語を使わずに生きようと思ってました。でもコンプレックスでした。どこかでこんな自分に克ちたかったのです。英語をペラペラにしゃべっている自分(昔はふつうに旅行ができて、友人としゃべれるくらいのレベルを想像してました。)になりたかったのです。そして医学部に入り、なんかアメリカはいいらしい。アメリカのトレーニングは日本よりもずっといい!なんていう、どこに根拠があるのかわからない噂?他人の評価?を信じました。何も知らなかったからね。始まりはこんなことだったのです。海の彼方の幻想です。はっきりいって日本で研修を受けたって立派な医者になれます。そんな素晴らしい先生をいっぱい知ってます。結局は自分次第なのです。教育的な環境は確かに大事。でも患者さんはどこにでもいます。そこで全力を尽くすか、ちゃんと勉強するかは自分次第なのです。(実はこの考え方が、非常に日本的ともいえますが。アメリカのトレーニングは、どんな「自分」でもちゃんとした医者にするという哲学です。)

こんな思いはいつの間にかに、やらなければいけないことになりました。これをせずには臨終のときに後悔する!という最大のことになったのです。つまり、自分のためにチャレンジをする、ということです。偉い先生にこんなことを話すと「なんだ、結局アメリカ行きたいからだけ?」って言われます。声高らかに「日本の救急のためです!」っていえません。でもね、これは個人的な、僕の人生なんだよね。僕が決めることです。「こんな道」を歩いて、自分がどこに行くかはわかりません。来年本当にアメリカ行けるのかもわかりません。ただ「こんな道」だけど、これは自分が歩きたい道なんです。歩くべき道ではありません。どこに行くかは次に書きます。

「こんな道のさきには」何が待ってるのでしょう。僕は救急(北米型)を選びました。これは日本ではある意味ニッチです。とくに北米型救急は、日本ではまだまだ始まったばかりです。これからは紆余曲折ありながら、日本の医療のダイナミックな流れのなかに揺られながら、ゆっくり普及していくでしょう。現在までの日本型救急と共存しながら。ぼくがアメリカで3年から6年のトレーニングを受けるということ、そして日本に帰ること。その経験をいかせば(日本で頑張っていたってできますが、変わった奴からの経験もなんかの役に立つかもしれません。)、日本の救急になんらかのインパクトを与えることができるかもしれません。微力ながらも力になれるかもしれません。偉くなって教授とかになるつもりもありません。一人のお医者さんで(僕の父と祖父がそうである、そうであったように。基礎研究というぼくにとっての未開拓分野もどこかでやってみたいですが!)、若い人を教えながら、患者さんの役に立ったらと思います。いままでいろいろな先輩にお世話になってきたし、患者さんからも学んできました。その義理を返したいです。(必要があるわけではありません)
ただ、自分の経験を活かせて活躍できるような場所を戦略的に考えていかなければいけません。


「大山は仰ぐべく、大道は行くべし」
スタート地点は自分本位、歩いている道はけもの道ですが、少なくとも大山を仰ぎながら、歩きたいと思います。

真面目なこと書いて疲れました。でもすこしすっきりしました。またがんばろう!

小泉純一郎

この1週間はめまぐるしかったです。
Indianapolis, Hershey, Grand Rapid, New Yorkと5日間で4か所の面接で駆けずり回っていました。かなり最後は疲れがでましたが、なんとかなったかな。

というわけで、今日は休憩。
とはいっても居候の身なので、家では気が休まりません。結局あちこちのカフェをはしごしています。今までの面接のThank you letterを作ったり、たまにはゆっくり本を読んだりといった感じ。あとで月曜日の病院の下調べもしようかと思います。読書に飽きたらね。

あっという間に、5か所の面接が終わりました。この面接シーズンの3分の1が終了です。残りの2か所は来週、約10か所は1月です。少し総括をしたほうがいいかな。面接の反応は?あまり順調とは思えません。もともと楽観的な人間ではないんだけどね。僕の仲間、指導医はまずどこかにはマッチするとは思っているようです。僕もそうだとは思うけども、思ったほどの手ごたえがありません。そんなものなのかもしれませんが。

○ 英語力。心配していた英語力は大丈夫そうです。仲良くなった学生、面接官から褒められます。ただほめられるということが、外人として見られているという証拠という見方もあります。まあ素直に喜んでます。

△ 答え。だんだん調子がわかってきました。長々と答えてはいけません。誰も話なんか聞いてないし、ましてや覚えてません。僕も面接の内容を思い出そうとしても、全然だめです。残るのは印象だけだね。ふと思い出したのが、小泉純一郎です。彼もあまりしゃべりません。内容はちょっとだけ、でも自信満々に、ずばっと答えます。これは見習うべきかな。結局は迫力とかオーラとか、そんなものが残るのです。というわけで答えを覚えるのはやめて、自信満々に熱意を持って答えることにします。自分が未来の日本の救急を背負うという自負で。
まずこの文章が長いか。。

× 自信。同じことです。面接ばかりで、ポジティブなフィードバックが少なく、すこしづつ自信をなくしています。こんなことではいけません。結果はどうあれ、全力で、ぶつかります。これからアメリカで働くなら、これくらいのことで挫けている場合ではありません。自分の弱さと闘わないとね。

× アピール。同じことです。自分のやってきたことにもっと自信をもってアピールしなきゃいけません。日本人はやっぱりこれが下手です。ここの人間はは持ってないことを120%に見せます。そんなに謙虚な人間ではない僕ですら、持ってることの60%しか出せません。書類では非常に映えますが、書類をあまり呼んでない面接官には、兎に角アピールしなきゃいけないね。

まあ、プレシャーがかかる毎日です。いつも目覚ましより早く起きてしまいます。お腹も痛くなります。でもよく考えてみたら、こんなことしてるのは贅沢な経験です。時間も作って、いろいろな人の理解と援助でこんなことをしています。またまた遠回り人生ですが、こんな経験も、いつの日か自分と、患者さんのために活かせる日が来ると信じて頑張ります。I believe I can make it!

2007年11月17日土曜日

今日は失敗?

今日はNY、マンハッタンのマウントサイナイ病院でした。
アッパーイーストにあって、かなり高級感のある町です。図書館からもセントラルパークが一望できます。ロケーションは本当に最高。ただプログラムの内容はそこまで素晴らしいかはわかりません。まあアメリカではブランド化に成功した病院の一つです。

そのせいか、今日面接に招かれていた医学生たちも、いわゆるアメリカの有名どころです。Chicago, Tufts, Duke, GeorgeTown, McGill大学(これはCanada)といった感じ、しかもMD/PhDコースというややこしい連中も入ってました。やはりいいとされているプログラムには、いいとされている大学から多くきます。これは明らかですね。まあ日本の就職活動と同じか。。。そんななかで、出所の不明なのは僕ぐらいです。まあ彼らには負けないけどね。
どこにいっても救急で外人はとても珍しがられます。救急に応募する外人はかなり少ないようです。不可能に近いとされる領域だからです。(内科・小児科では外人は3分の1くらいいます。アメリカの面白いところ)。それだけに医学生たちは、興味をもって僕に接してきます。若いけども概していいやつらです。

さて面接は?二人の若いスタッフとはまあ無難にできたと思います。ただしチェアマンは???明らかに外人は不利だなーと感じることがままあります。これはしょうがないことだけどね。そして、そんな障害も乗り越えないとこの先やっていけません。アメリカ人の120%のパフォーマンスを出さないとね。ここは第一希望だったのですが(NYだから)、すこし先行きは怪しいです。
これからは、はったりを利かせるくらいの自信をもって、自分の実績をアピールしないとね。やっぱり僕は日本人。持ってるものさえ控え目にアピールしてしまいますし、持ってないもの以上のものを見せようとすることに非常に抵抗があります。でも自信をもってぶち当らないとね。

さあ来週は二つの面接だけ。これで11月は終了。
月曜はミネソタ州にあるMayo Clinicというとても寒そうな所に行きます。とてつもなく田舎みたいですが、ここは全米でトップ3にはいる病院だそうです。アラブの石油王がチャーター便で来るようなところです。
水曜はボルチモアにあるメリーランド大学。ここは外傷・ショックの都です。治安悪いからね。港はきれいだけど。

あとちょっと、頑張ります。

2007年11月16日金曜日

紐育へ

グランドラピッドから飛行機で3時間。
そのPhillyから車で2時間。
やっと都のニューヨークに着きました。いままで田舎ばかりめぐってたので、この大都会がまぶしすぎます。ちょっと狂ってるね、ここは。

物価も狂ってます。やっと探し当てた安宿も、それなりに高いです。でもある意味風情があります。インド人(たぶん)がフロントで、日本のビジネスホテル並みの狭さの部屋ですが、なんとなくスパイシーな香りがします。

さあ明日の朝からマウントサイないの面接です。
さすがにあまり緊張しなくなってきました。ここは本命ですが。

これまでの反省は。。。フレンドリーにはやってきましたが、、、
もっと自信を持ってやるべきかな。言葉で通じるのは10%以下。それ以外のものがはるかにコミニケーションでは大事なようです。自信とかはオーラとなって伝わります。いままでやってきたことと、積み重ねと、これからの未来を自信にして、ぶち当たります。アメリカ人とはいえ、医学生には負けられません。

Grand Rapids

五大湖のほとり、ミシガン州のグランド・ラピッドにいます。
とにかく寒いですが、やはりホッケーが盛んなようです。

町は20万人の小さな町。これでもミシガンではデトロイトに次いで大きいみたい。
人間もゆったりしてフレンドリー。犯罪も少なく、古き良きアメリカみたいな感じ。町も幾人かの大金持ちの家族がいて、その寄付のおかげで、病院・アリーナがきれいになっている。面白いところです。

インタビューも終わりました。あまり印象は強くありません。ただ面接しただけで、レジデントとの接触がなかったからね。これでは確かに自分との相性はわかりませんね。プログラムディレクターはホッケープレイヤー、医者のチームもあるくらいホッケーは盛んみたい。だから僕も面接に呼ばれたんだと思う。病院もきれいなんだけど、プログラムは少しぬるいかなという感じ。僕には少し物足りないような気もする。ここは寒すぎるし、何もありません。基本的にどの救急のレジデンシーは、フレンドリーでlaid back。自分の生活、友人との時間を大事にする感じ。日本の医者とはだいぶ違います。

さあ、これからPhillyにかえります。そこから車でNYとタフな移動。明日は本命の一つマウントサイナイの面接。どうなることやら。ロストバッグされないことを祈ってます。

2007年11月14日水曜日

Hershey終了

早いものです。今日で3つめの面接。
だいぶ慣れてきたかもしれません。ただし少しやる気がなさすぎたかな。

今日のプログラムはペンシルバニア州立大学のプログラム。チョコレートで有名なHersheyという田舎にあります。病院もHersheyさんがチョコで稼いだお金で建てたみたい。周りは紅葉でとてもきれいです。

プログラムは今までの2件よりも見劣りがします。EDの規模。患者の数。レジデントのやる気、教員のやる気。どれを取って見てもあまりいいところがありません。なぜかわかりませんが、面接に来ていた学生のレベル、やる気も低かったように思えます。Indyはみんな手ごわそうに見えましたが。。ここは田舎で安全なので家族には良いですが、あまりにやることがなさそうです。面接は受けましたが、ここは僕はランクには載せません。もうHersheyに行くことはないかもしれませんね。

といっても面接で学ぶことはいろいろあります。今日の反省点。
ーやる気のない面接官を相手にするのが大変。どうしてもこちらのトーンも下がってしまう。
ー今までどうり、やる気のある面接官には質問しまくって、相手に喋らせるのがいい。
ーやる気のないやつには、つきあってこちらのトーンを下げずに、アピールするのがいいかな。
ー面接は会話。どの程度しゃべるのがいいのかは難しい。ある程度しゃべってアピールしなければいけないし、かといって冗長は逆に働く。まあ相手を見ながら、もう少ししゃべろうかな。
いまさらこんなことをやってますが、これも人生経験になるでしょう。頑張ります。

明日も朝早くにおきて、飛行機乗ります。
明日はミシガン州にあるGrand Rapidsというところ。聞いたこともない町です。とにかく寒そうです。ここも練習だと思っていきます。どうなる事やら。その面接後はPhillyにとんぼ返り→NYまで車で移動→マンハッタンのマウントサイナイ病院の面接と連日です。

また明日。

2007年11月13日火曜日

IndianapolisからHersheyへ

今日はインディで面接。
二回目だけど、なぜか1回目より緊張しました。前日も浅い眠り。このところこんな感じ。

このプログラムはレジデントが本当に仲が良くて楽しそう。患者のボリュームも年間20万人以上と全米でも指折りみたい。プログラムとしては結構いいね。インディアナポリスは治安が良く、住むには安くて家族持ちにはよいところ。ただし、大都会ではない。四季があってカヤックとかもできるみたいだけどね。

面接は?どうだかわかりません。プログラムとしても今年初めての面接だけに様子をみてるのかな?一人のチーフレジデントは僕を非常に気に入ってましたが、ほかのディレクターはどうだかわかりません。結局面接は相性のとこもあるからね。あまり気にしてもしょうがない?まあベストを尽くすだけです。

このプログラムは少し変わってます。人間性をすごく重視するせいか、質問が宝くじ当たったらどうする?とか誰にでも会えるとしたら誰とあいたい?とか、たらればが多くてやりにくかったです。しかも面接官は5人、リラックスした面接だけどやはり疲れます。

その後飛行機に乗りPhillyへ。そこから車で2時間、いまはまたChocolateで有名(これ以外にはなにもありません)なHersheyに深夜につきました。明日も面接なのでもう寝ます。明日のプログラムは来年行くつもりはありません(たぶん)。練習だと思ってます。

おやすみなさい。

2007年11月12日月曜日

インディアナポリス

アメリカの真ん中、シカゴから飛行機で40分です。
もう二度と来ないかもしれません。いい経験です。

たった今、ここのレジデントのディナーから帰ってきました。半分くらいのプログラムは、前日夜にプログラムのレジデントと非公式のディナーがあります。ディレクターに聞けないような裏話を聞いたりして、プログラムの内容を知ります。

行くのは結構勇気がいったけど、行ってよかったかもしれません。なんとか英語は通じるし、来年働くかもしれない人達をしるというのは大事です。3年から4年も一緒に働くのだから、いいやつらがいいよね。まああっちもそれを推し量るために、俺らを呼んで密かに評価しているんだけどね。

インディアナ大学のプログラムの連中はかなりいいやつらでした。フレンドリーだし、自分たちのプログラムにかなりの誇りを持ってました。プログラムは本当にいいみたい。
この町はちょっと田舎だけど、まあ住むにはギリギリの線かな。

はっきりいってディナーの前は緊張して、行きたくなかったです。まあ勇気を出して行ってよかったかな。あっちが俺をどう評価したのかは知らないけれども、まあ挑戦した自分を評価します。人も良かったし、その評価もできた。英語力も少しは自信がついたかな。まあこれは働くためには戦う英語力を付けなければいけないけれど。

さあ明日も面接。結果はどうあれベストを尽くしたいと思います。

2007年11月10日土曜日

消防署

今日は救急車にのる実習でした。
まるで学生のような楽な生活です。

ここLansdaleから車で30分。Philly郊外の田舎にある消防署です。
こちらは日本と違って、Firemanはボランティア(普段は他の仕事をしていて、火事があるとポケベルで呼ばれて働く)、救急救命士はその道のプロという感じです。

梯子車に乗ったり、救急車にのってみたり、EMSのジャケットを着て喜んだりと、無邪気な1日でした。カメラを持っていかなかったことを後悔しています。スタッフもとてもフレンドリーで、少しあほだけど、いいやつらでした。

12時間ほどいて、2回しか出動はなかったけれど、日本との違いがあって面白い。
こちらの救命士はなんでもします。薬物投与は当たり前、勝手にどんどん麻薬を投与していきます。
面白いよね。いいところも多いけど、ちょっと待てよと言いたくもなります。

とにかくいい経験でした。来週は面接が4つ。これからそれぞれのプログラムについて予習です。月曜はインディアナ大学。HPを見る限りでは非常に良いプログラムです。半分くらいのプログラムは面接の前日にレジデントとの非公式ディナーというのがあります。もちろんそこでも評価されます。楽しそうですが、人見知りで内向的なのと、英語力に自信がないから少し悩んでいます。試しに一回くらい行ってみるものかもしれません。

2007年11月9日金曜日

Temple大学

今日は初めての面接でした。

Phillyのなかでも危険なところにある大学病院です。場所柄、外傷患者が多くて有名です。
面接はうまくいったと思います。完璧ではないけれども、そこそこに自分を出せたとは思います。
あちらも、書類でかなり僕を買ってくれているようで、そのおかげであまりきびしい突っ込みはありませんでした。どんな人間か見てやろうという感じ。
面接自体、ものすごくリラックスした雰囲気で、こっちも少しそれに倣ってしまいました。いままでやった英語の面接では、一番緊張しなかったかもしれません。なんでだろう。面接前に医学生とかとよく話したのがよかったのかもしれません。

心配していた英語力は大丈夫なような気がしてきました。1対1の面接では基本的にこちらのペースで、しかもだいたいわかった土俵で勝負するので、あまり問題はありません。でも練習に越したことはありません。来年働くことになったら、戦う英語力が必須だからね。とくにERでは。


反省点
1.もっとアグレッシブにenthusiasticにやるべきだったかもしれません。面接官のLaid Backな雰囲気に流されました。もっとアピールすべきかな?
2.結構質問したけれども、もっともっと時間を延長するくらい質問しまくるべきかもしれません。それも一つのenthusiasmのあらわれだもんね。
3.やはり答えを暗記しすぎたかもしれません。面接も会話の一つだから、相手の表情、反応を見ながら答えるべきだもんね。すこし暗記はやめて、ポイントだけ覚えたほうがいいかな。

基本的に今日の面接で少し自信がつきました。これから10個以上の面接を受けるので、どこかには採用される気がします。Templeも悪くはありません。感触もまあまあ。プログラムとしても良い。欠点は場所と、プログラムディレクターのやる気のなさかな?彼の僕への反応もExcellentという感じではなさそうです。

来週は全米を飛び回って、そこらじゅうで面接です。最低3か所かな。田舎はキャンセルしたいけど。。。まずはインディ500で有名なIndianapolisの大学からスタートです。どんなところだか想像もつきません。プログラムはいいみたい。

おやすみなさい。

2007年11月8日木曜日

緊張

さあ面接が始まります。
明日がまず初回。同じくPhillyにあるTemple大学病院からです。相当緊張してきました。始まる前からね。面接で聞かれそうなことはだいたい覚えました。気楽にやりたいところですが、なかなかそうもいきません。すこし自己逃避でこれを書いています。

来週も最低3つの面接を入れています。最近2つの面接の招待が新たに来たので、それによって来週は少し変動する可能性があります。あまりに田舎で行きたくないところは受ける必要がないからね。面接の練習にはなるけども。連日入れてしまうと疲れきると思います。

まあやる気だけは見せないといけないね。がんばります。

2007年11月5日月曜日

休日

今日はとくに何もしてません。

朝からカフェに行って、面接の練習。ひとりで怪しくぶつぶつしゃべってました。しかも雄弁そうに。
日本語ならどんとこいだけど、英語だとある程度準備してないと、出てこない可能性があります。まだまだ英語で考えられないし、難しいことを伝える能力に欠けてます。これもいい練習です。
人事を尽くして天命を待つって感じです。

これからO'malley家でPhilladelphia Eaglesのアメフトを見ます。相手は宿敵Cowboysのようで盛り上がりそうです。この家は巨大。暖炉もあります。こういうところはアメリカの豊かさだよね。

明日はO'malley先生とER。8時間だけなので頑張ろう。この病院からは面接に呼ばれないかなと踏んでいます。まあそれでもいいでしょう。でも恥をかいてもいいから頑張らないとね。
火曜日はPoison Centerという中毒専門の所に行きます。
水曜はカンファだけ!の希望です。
そして木曜は初面接。どうなるかはわかりませんが、よく考えれば日本でも何回か英語の面接を受けてきているので、なんとかなる!と信じてます。

2007年11月4日日曜日

Hershey --> Harrisburg

今日は休みにしました。
毎日見学だけではどんどんMotivationが下がります。気が狂うかもしれません。
今日も他の病院の見学に誘われましたが、朝早くでてきました。

Phillyから車で2時間、Pennsylvaniaの州都Harrisburgというとてつもなく田舎にきてます。
ただしHot spotの入っているスタバはアメリカ中にあるのでこれを書いているわけです。
今丁度、こちらは紅葉の時期。ここまでの道はとてもきれいでした。四季のある生活はいいよね。Pennsylvaniaは住むに悪いところではありません。

途中にHersheyというこれまた田舎町をとおりました。チョコレートで有名なところです。とてもかわいい町で街灯もチョコの形、ストリートの名前もChocolateとかCocoaでおもしろい。ただし何もありません。ここのプログラムから面接に呼ばれていますが、ここには住みたくないね。

今日は面接の練習をしようかと思ってます。これを書き終えたら現実逃避は終了して練習です。初回は来週の木曜日、Temple大学です。Phillyの危険なところにあることで有名です。さっきラジオで、キャンパス内でレイプがあったと言ってました。今週はPhillyで警官3人が銃で撃たれました。一人は頭を撃たれうちのERに運ばれましたが、さすがに助かりません。。。

外国に住むのも悩ましいですが、やるだけやります。これも自分を成長させてくれるでしょう。

2007年11月2日金曜日

うつ

まったく元気が出ません。
もともとすぐ鬱になってしまうんだけど、今もそうです。

昨日この町でふたり警官が撃たれました。一人は強盗に頭を撃たれてうちのERに運ばれています。その前の日は殺人プラス放火がきました。まったくもって狂った国です。

一人でこの国に住む自信がなくなりました。やっぱり治安は断然悪いし、何をこんなに苦労して、アメリカでトレーニングをしなきゃいけないんだという疑問にぶち当たってます。来週にはTemple大学の面接があるというのにね。もう一度自分と向き合わなきゃいけないね。

これからの1か月は5個くらいの面接。ERでの見学。カンファに参加。救急車にのってみるといった感じのようです。見学が主目的できたのですが、あまりに居場所がなくて、これが自分を落ち込ませています。なんにせよひと月いるのだから、楽しまなきゃ損だよね。

2007年10月31日水曜日

Baltimore

今日はBaltimoreにいってきました。カル・リプケンのいたところです。
Phillyから車で2時間ちょっと、DCの近くです。

O'mally先生がAHLSの講義をするというのでついていったのです。
ついたのはBaltimoreのFire Academy。こちらのFire manてなんかかっこいいよね。
彼らは講義の内容はさっぱりわかんなかったみたいだけど。地下鉄サリンとUndergroundの話なんか出てきて、僕にはとても面白かった。きっとToxicology好きなんでしょう。

彼はEMSスタッフと付き合うのがそんなに好きでないようです。彼らを携帯とポケベルを10個以上付けて喜んでいるWacker(変人)と呼んで面白がってます。そのあとは二人でBaltimoreの港を散策。男二人で仲良く名物のCrab sandwitchとスープを食いました。名物だけあって惜ししいです。カメラを持ってこなかったのが残念です。ひさしぶりの休暇という感じ。ここの港はなんとなく横浜を思い出させて、とてもホームシックになりました。明日からのタフな日々を思うと余計にです。

Baltimoreは港はよかったです。ただし他のところはGettoという感じ。治安はかなり悪そう。Univ. of Marylandから面接がきそうだけど、家族で住むにはちょっとだね。プログラムはとてもいいんだろうけど。一方Phillyは家族で住むにもよさそうです。贅沢を言える立場ではないんだけれども。

さあ明日からまたShadowingのはじまりです。すでにブルーになってます。こんな逆境も乗り切れるような自分にならなきゃいけないんだよね。

2007年10月30日火曜日

Philly ER 初日

今日からエクスターンが始まりました。
きっと今日は行かなくてよかったんだろうけど、やる気を出してみました。

でも結果は。。。4時間しかいなかったけど、ぐったりです。
見た感じはすごくいいプログラムだなと感じました。
4年のプログラムはいい。さすがに4年目のレジデントはできます。EDもでかくて施設もいい。
O'malley先生によるととても恵まれたプログラムみたい。ED自体がsystematicで、救急自体が病院内できちんとした地位があるみたい。一方、面接に呼ばれたTempleはストレスフル、TJUは使い物にならないらしい。Univ of Pennは4年だけにいいみたいだけど。

しかし見学というのは居場所がない。とくにいそがしいERでは。働かせてほしいよ。
邪魔になってはいけないから気を使うし、かといってやることもない。やりたくても何もやってはいけないことになっている。ずっと気をつかってるだけ。さぽるわけにもいかないし、こんなんじゃ駄目だと思いながら、時計をなんどみたことか。。。今日の僕はpretty bad。なさけないね。29にもなって。

どうしたらいいのだろう。。。折角4週間いるのだから精一杯楽しまないと。これもポジティブにできるようにしたいね。どうせやるのだから。そしてこんな逆境も訓練、訓練。
1.とにかく自己紹介する。
2.Shadowingしても良さそうな相手をみつけて、そいつと集中的にはたらく。
今日は具合がわからなくて、いろんな奴についた結果がだめだったね。
きっとmedical studentかinternだといいのかもしれない。4年目くらいはいそがしくしててだめかもね。
3.二年目研修医には負けないだろうから、頑張るか。

頑張ろうって思えないほど、今日はへこんでます。まあ限られた期間やるだけのことやるしかないね。

明日はO'malley先生と一緒にBaltimoreに。彼が講義をするみたい。一日すこし休みです。

2007年10月29日月曜日

O'mally家に到着

rent-a-carして、空港発。
Phillyのdowntownをとおり、面接を受ける予定のTemple Univ Hospital(聞いていたほど治安は悪くなさそう) 明日から回る予定のAlbert Einstein Medical Centerとかを軽く見てまわる。病院の周りは聞いていたとおり、治安悪そう。まあいい病院の周りは、治安が悪いと決まっているみたい。

そのあとは散々迷ってO'malley家に到着。住んでいる街はDowntownから40分の郊外。Lansdaleというとてもきれいで小さい町。O'malley先生はかなり寝起きだったけど、話好きのいい人。この人なら4週間うまくやれそうです。第一印象って大事だね。

そうO'malley先生は、今回の僕のエクスターンをコーディネイトしてくれる人。家にまで住ませてくれて本当に感謝。むかしUSNHのプログラムディレクターをしていて、その御縁です。今はAlbert Einstein でToxicologyのDirectorをしているみたい。日本人の奥さんも救急のレジデント、ここまで来るまでに結構苦労したみたい。子供も2人いて大変です。

子供は9才のMika, 6才のSolanです。なかなかいいやつらです。また救われたのは犬がいたこと。Yokoという名前で、呼ぶのに変な感じだけど、やっぱり犬がいると癒されます。

明日はPassをつくるだけ?まあ何とか4週間やれるかもしれません。ここまで来ることになりましたが、それもいろいろな人たちのおかげ。感謝です。

Philly到着!

昨晩JFKへ。
そこからShuttle busを捕まえて、Philly Int'l AirportちかくのHotelへ。最後の客だったので着いたのは午前2時。さすがに疲れました。ただし、一緒になった客には、これからUSMLEをうけるというEgypt人、サウジで看護婦をやっていたという人にあって盛り上がる。夜だけど、Phillyのdowntownは結構きれいでprettyな感じ。住むには悪くなさそうです。

ホテルはけっこう高かったのに、廊下にいっぱいゴミが落ちていて、アメリカだなーと思う。
なんでこんなことしてるんだろーと少し思う。
時間とお金と労力と、医者の修業はすこしさぼっていて。ひとりで寂しくなって。
まあ人生後悔しないためにすこし頑張ろうかなと思う。

2007年10月27日土曜日

出発

荷づくりも終わりました。
いっぱいのトランクを閉め終えた瞬間はすこし快感です。

明日からPhiladelphiaに出発です。4週間のexternshipとはいっても、この五月蠅い時代なのでobservationだけなようです。手を出さないで見ているだけというのは、かなりストレスフルでしょう。でも行けることだけでも感謝して、そこで精一杯楽しんで、吸収したいと思っています。
まあ挨拶みんなにきちんとして、仲良くなって、discussionしてかな。そうやっていればinterviewも必然的についてくるでしょう。

Phillyにいる4週間のあいだにいくつか面接を受けるつもりです。現在のところは北中心にPennsylvania, Michigan,Minesotaの3か所は決まりました。他にも来れば、11月にやっておきたいです。

1月はまた4週間、これはフルに面接旅行の予定です。これもストレスフルだけど、休み貰って全米を回れるのだから、それも楽しもうと思ってます。

2007年10月19日金曜日

変わったものです。

先日は日本の救急学会に行ってきました。主な目的は帰国後の自分のゐき先探しです。

大山は仰ぐべく、大道は行くべし。
たまたま今回の主催者の言葉です。今ふと思い当りました。これって僕がやるべきことです。
志は高く、日本の将来の救急を担うつもりで、
それに向かう道は着実に。自分に正直に。

最近は人のつながりを大事にするようになりました。昔の僕とは違うみたい。
結局、大きな仕事は一人ではできません。アメリカ行って何かを学んでも、それを帰ってきてから活かすには理解者が必要でしょう。とっても優秀なんだろうけど、それができなくて失敗した人を知っています。それも彼の人間力という意味での実力のうちなんだろうけど。
今回は主に二つの大学の話を聞いてきました。ともに僕の母校です。
救急の勢い、人の魅力、臨床・研究の伸び、これらをみると東海が勝ってそうです。慶応に比べて僕の学んでくることが直接的に生かせるかどうかは微妙なんですが。しばらくゆっくり寝かせて考えることにします。

まあ将来の不安はありますが、なんにも見えない分チャレンジングです。

プリマッチ

めでたいことがありました。
今年の同期6人のうちの一人が、見事ハワイ大学の内科レジデンシーにマッチしました。まあ正式なマッチングではないので青田刈りというやつです。
すごいことです。心から祝福です。彼も頑張ってたからね。きっとハワイでのエクスターンでも頑張ったのでしょう。感服です。いいなーハワイに住むんだもんね。

僕はというと、まあまあ順調に面接に招待されています。今までに7個、これからも4個くらいは最低来るのではと見積もってるけど、どうなることやら。外国人でここまで呼ばれるというのは天佑です。ここからが正念場です。アメリカ人の医学生と同じ土俵で、それ以上のパフォーマンスをしないと、ダメなんだろうからね。できると信じてやるしかないね。

いつものことだけど、時間はあっという間に過ぎます。もう1週間後からフィラデルフィアです。4週間のエクスターンシップ。ストレスフルだろうけども、できるだけいい経験にしようと思ってます。ついでにPhilly近辺の面接は受けてくる予定です。そりゃあ怖いけど、まあ背伸びをして、苦しむことが、成長につながるのだから、やるしかないです。日本の未来の救急を担う気負いで臨みます。

2007年10月8日月曜日

たまには

反省を。
すこし調子に乗っていたかもしれません。今までの周りからの評価に。

今の僕はprofessionalだとはとても言えません。ただ要領よくやっているだけです。こんなんでこの病院での日々、トレーニングの日々を浪費するのはもったいない。。
たとえ精神科、産婦人科、外科とそんなに責任をもたらせないかであっても、インターンとして医師としてprofessionalでなきゃだよね。Morning report、面接の準備、せまる渡米と忙しくても、やることやってないやつは、結局は内面の迫力をなくします。正直が最良の方法なのです。自分を卑しめてはいけない。

2007年9月25日火曜日

半年が過ぎる

時間が経つのは早いです。
もう沖縄にきて6か月。この病院でインターンとして働けるのもあと6か月。
実際は2か月渡米するから、それより少ないんだよね。

いい機会なので半年を振り返ってみたいと思います。

△ 一つ一つのローテーションをがんばる。
基本的にはよくやっている。とくに救急を含めた自分の好きな科に関してはしっかりやってるかな。でも今まわってる産婦人科は???やはりインターンに機会を与えてくれないところはモチベーションを保てません。それでもできる限りやらないともったいないよね。アメリカでやっていくならガツガツ仕事奪わないといけないんだろうね。

○ 論文を書く。
これは上手くやっている。Sに出会えたこともあって予想以上の3本を書くことができました。一本はすでにacceptされました。しかもAnnals of Emergency Medicineという救急の最高峰です。

× 英語、TOEFL
やっぱり英語は勉強しないとだめなんだね。この病院で働いているだけでは、その場をしのぐことになれることは出来るけど、本質的な向上はない気がする。やっぱり基本なんだろうね。TOEFLを材料に勉強再開をします。ただの英語の勉強が嫌いなんて言ってられないね。

△? 来年のレジデンシー
どうなるのでしょうか。とにかく面接いっぱい呼ばれれば可能性は広がると思って、全米130個のうちの83個のプログラムに申し込みました。どれくらい返事が来るものか。今の時点ではOrlando Florida, Grand Rapid Michiganの2か所です。うちのERの先生が動いてくれているので、もう少しは呼ばれるでしょう。あとは面接勝負です。そこでやっぱり英語が不安材料です。これだけはなんとかしないとね。来月終りから面接シーズンが始まります。Philadelphiaを皮切りに。勝負だ!

2007年9月15日土曜日

Schofer's Party


先日、僕のmentorであるDr Schoferに奥さんと招待されました。新しい家に引越したということで、そのお祝いです。かなり変なやつです。BEARでいえばY沢に近いでしょう。すこし額が広いところもです。でもとにかくお世話になっています。なぜか気があって、論文を一緒に書いたり、彼のコネを駆使して面接を僕のためにゲットしようとしてくれています。この病院にきて一番の出会いは彼でしょう。 医者としてもよく勉強してるし、尊敬できます。彼とはずっと友達でいたいね。

この写真はそこでとったもの。左からWendy Schofer(奥さんで小児科医、ふたりともフィラデルフィア出身)、Chuck Cravenの家族(ボストン出身の整形外科医、愛すべきキャラです。こういう人は世界どこでもいるんだね。)、愛する奥さん、Dr Obieの家族(彼もフィリー出身のERの医者、昆虫を愛するeccentricな人)、次がJoel Schofer(日本語はかぼちゃしか喋れまない典型的なアメリカ人かな。でも天才肌です。)

就活シーズン来る!

29歳にして本格的な就職活動を始めることになりました。

これから生まれて初めての就活です。
来年の7月から、アメリカのレジデンシーが始まる予定です。救急医学のレジデンシーに入ろうと思ってます。この分野はアメリカ人の間で人気が高いので、外国人が潜り込むのは結構大変そうです。とにかく外国人は面接にも呼んでもらえません。書類は読まれないで捨てられるということも多々あるようです。ということで、130個くらいある救急のプログラムのうち、62個に応募してみました。これだけで15万円かかりました。どれくらい面接に呼んでもらえるかは未知数です。だいたい面接に行くまでで10倍、そこからさらに10倍という感じです。10個呼んでもらえれば御の字です。応募して2週間でやっと2つの正式なinvitationをもらえました。さらに自分のmentorがコネを駆使していろんな所に聞いてくれてます。結局どこもコネなんだよね。まあそりゃそうです。どこの馬の骨かわからない外国人をとるのはRiskyだもんね。感触としては10個くらいは呼んでもらえそうな感じですが(かなり楽観的かな?)、どうなることやら。10月後半から僕の8週間の全米面接旅行が始まります。Phyladelphiaがスタート地点! 愛する奥さんの希望するNYかBostonがいいね。
さあここからが正念場!!
とにかく日本人の共通の弱点:英語を克服しなきゃです。これが面接に向けて今から向上できる唯一の点だからね。

2007年8月24日金曜日

シャンパン・タップ

先週は親友が沖縄に来ました。
素敵な彼女をつれて幸せそうです。
自分が離れた沖縄に住んでて、そこに友人が来る。変な感じ。

その直前にも、さらにひとついいことがありました。
腰椎穿刺という手技があります。背中に針をさして髄液をとるやつです。
そこで白血球ゼロ、赤血球ゼロを出すと祝ってもらえるのです。
アメリカではchampagne tapといって、僕のようなインターン・レジデントがこれに運よく成功すると、上級医師がシャンパンを奢る風習があるようです。アメリカっぽいよね。Thank you, Dr Schofer!!
精神科は少し退屈してますが、ERでの当直は相変わらず楽しんでます。
ただ来年アメリカで救急医として働けるのでしょうか。とにかく道は険しそうですが、やれると信じてやるしかないのでしょう。最近はそのapplicationで忙しい日々です。
来週は後輩が来てくれるようなので、また楽しみです。

2007年8月17日金曜日

自己逃避

横浜に帰ってきました。沖縄よりぜんぜん暑いね。

1泊2日で帰ります。今回こちらに来たのはただ面接をうけるため。
NYのMt. Sinai病院を強力におしてくれるようです。どこまでその力があるかは未知数だけど、ひとつでも可能性を広げること、コネクションを築くことが大事だと今年は痛感しています。そんなことは当然のことなんだろうけど、アメリカに医者で行こうとすると、とてもとても一人の力では難しいです。そりゃあ、あっちもどこの馬の骨かわからない外国人を取るのはリスクだもんね。
とくに救急のレジデンシーに入り込むのは難しい。アメリカ人でさえ入るのは大変なようです。というのはアメリカでは専門科ごとに人数制限があるのです。比較的特殊で、しかも人気があるとcompetitiveになります。救急はそのQOLの高さ、給料の高さ、けっこうexcitingだったりして最もcompetitiveなものの一つです。僕も面白いくらいだから、多くの人にも面白いのでしょう。
ではどうしたらそのポストを取れるのでしょうか?100人以上に1人の割合で。。。
1.アメリカ人であること: これはどうしようもない。外国人というだけで門前払いなところも多いのです。さらに同じレベルでは勝てないでしょう。アメリカ人と同じ土俵に乗せてもらえるところで、さらによいパフォーマンスを発揮しないとね。
2.アメリカの試験の点: この人たちの面白いところはここを重視するところです。日本も学歴社会だけど、アメリカの医者もこれを不思議と重視します。この点ではなぜか上から1%に入ってます。
3.推薦状: これもアメリカの特色。彼らは非常に重視します。日本にない文化だよね。幸いながらうちのドクターがサポートしてくれてます。感謝です。
4.英語力: 当然外国人にはこれが要求されます。僕にケチがつくなら文句なしにここでしょう。結局これなんだよね。沖縄で働いて4か月。思ったよりはうまくなりません。。。

いつも同じ結論です。
自己逃避のブログはやめて、これから英語の勉強です。

2007年8月15日水曜日

アメリカの陰

精神科、すこし楽しくなってきました。
先週はほぼ全ての患者で寝てしまったのだけど、今週はまだほんの少ししかねむってません。
いい方法を編み出しました。というかただの内職だけど。

ただときに、眼の醒めるような話をしだす患者もいます。
性的虐待ほんとに多いです。そりゃあ親族にそんなことされたら、心も病むよね。
日本も隠れているだけなんだろうけど、米国はやっぱり多いのでしょう。
軍隊に入ってくるなかには、そんなことでやけっぱちになってくる若者がいます。

というわけで、精神科の楽しみ方がわかってきました。
Lyscarsz先生(これでレザール)と読みます。ポーランド系の名前らしいです。
彼は精神科らしく文系の話で話が盛り上がります。宗教とか哲学とか考古学とかそんなものです。
医学ではないことを伝える語学力がないのが悔やまれますが、こういう話をするのは楽しいものです。
でも医学部に入る前はMITで核燃料の研究をやっていたそうです。すごいものです。

2007年8月11日土曜日

Diving at Kerama Islands!

Today, I was supposed to take the TOEFL test at Naha. But the test center has been flooded by this raining, so I got some rest! Good for me!

On the last weekend, I dived with Dr R of internal medicine in Kerama islands which is known as one of the most beautiful diving spots in the world. You can go there by a boat, and it takes only one hour. The transparency of the sea was amazing, which is greater than Moldive's! The cost of diving here is not so expensive secondary to its competitiveness. I strongly recommend you guys to try diving here! That's a sort of life changing event!

Have a good weekend.

Now, I am writng an article I will submit to an emergeny medicin journal of the states.

嵐の沖縄

台風ではないのですが沖縄は嵐です。
そういえばこの前の台風は面白かった(不謹慎?)。
病院は2日間閉鎖。その日はスタッフ全員が興奮しながら今か今かと台風情報をにらんでました。
僕は家に帰れて二日間のオフ。沖縄っぽいね。stuckされたM先生は2日間の連続当直。楽しそうです。基地に住んでいる人はとにかく飲んだくれるみたい。

今は精神科を回っています。基本的にobserbationなのでモチベーションをたもてません。
だって見てるだけだからとにかく眠くなる。呆れられているんだろうけど、とにかくすべての患者さんで寝てしまいます。一人1時間の問診なんだもん。こちらの集中力は20分で切れます。たまに興味を引く患者さんだと1時間もつけれども、とにかくそんな患者さんのbackgroundは大変です。そんな苦労したら、そりゃあ変になるよ。
もっと英語の勉強と割り切って精神科まわろうとおもいます。

はやくもこの病院にきて4か月がたちました。
だいぶなれました。
いろいろ自信になったこともあります。アメリカでERの研修医としてファンクションするとは思います。
弱点も見えてきました。
やっぱり英語力です。聞けるようになったけど、話す能力は伸びません。びっくりするくらい全然。基本がなってないんだろうね。単語力と文法。今月来月はTOEFLにチャレンジしながら弱点を克服しようと思います。ただの英語って大嫌いなんだけど、避けて通れないことがわかってきました。
がんばります。

2007年7月28日土曜日

沖縄より


大分更新をさぼりました。
内科のローテションからいろいろなことがあった気もします。 もう7月も終わり、インターンとしてこの病院で働けるのはあと8か月しかないんだよね。すでにさびしい気がします。

仕事にも慣れて、英語がわからないことにも完全に免疫がついて、 英語は思ったよりはうまくならないけども、多くいい先生たちに出会えています。
今は救急のローテーションに入っています。やっぱりここが一番楽しいです。雰囲気も部活みたいだからね。ERでも戦力になれているように思います。ここのERはあんまり重傷は来なくて、時間外診療所みたいな所だけれども、勉強になります。

今年は米国の救急医学のレジデンシーに応募することにしました。
一生出来る仕事ではないけれども、一番やっていて楽しいことにチャレンジです。
米国では救急医学は、シフト制で生活の質が高くて、給料がよくて、外科っぽいこともできることで 非常に人気です。そこに外国人が入り込むのはかなり難しいのだけれども、不可能ではありません。
なんとかなるのではと考えています。とっても甘いのかもしれないけれども。
とにかく多くの先生たちに応援してもらっています。ありがたいことです。

写真はエクスターンの人が毎週来ているので記念に撮ったものです。日本人インターンたちと、救急のナース、衛生兵、そして隣でカーキ色の海軍の制服を着ているのがDR.G。我々のプログラムディレクターです。素晴らしい人です。

2007年6月10日日曜日

はやいもの。

もう沖縄にきて2か月。
ローテーションの科も家庭医療、内科と二つ終わってしまった。
ほんとに時がたつのは早い。
日記も4週間つけてなかった。

内科は始めの10日間くらいは日本の病院並みの忙しさ。
毎日3時に起きるような生活。ICUに患者がいっぱいいて充実してました。
そのあとの2週間はだらだら。一般内科の外来は本当につまらない。

ここに来て、希望の科がまだ揺らぎます。
ほんとうに救急は面白い。広く浅く急性期をみるというのはエキサイティング。
自分の性格にも合ってると思う。でもいつか飽きてしまうのではないかとも思う。
それに一生続ける仕事ではない。ばりばりできるのは15年くらいだろうか。

それに比べて内科は一生出来る。若いうちはスペシャリストになって楽しめることもできそう。
ICUは面白かった。循環器も好きだ。迷います。
内科ならアメリカのレジデンシーに入ることはできる気がするけど、
救急はずっと難しい。将来のことも考えると悩みます。

ただ沖縄にきて本当によかったと思う。二人のmentorに出会えたし。
一人は内科のDr M。人間らしく長所と短所のいっぱい混ざった人。
ただ僕を沖縄に入れてくれた人で、今でも自分のことを非常に買ってくれている。
もう一人は救急のDr S。この人も少し変人。すこし吉沢とかぶる。実はアメリカの救急学会のレジデント部の会長をやっていらしい。すごい人なんだね。本当に仲良くなっているのかは分かんないけども、論文を手伝ってくれたりと助けてもらってます。きっとこの人は偉くなるのでしょう。

こんな人に恵まれている環境で、しかも英語の勉強になって、基地のなかで働くというもう一生できない経験をしているのだね。本当に一日一日を大事にしないと。英語がわからないなんて言ってる場合ではない。大事にしよう。

そう英語力はそんなに伸びているように思えません。上手いとはいわれるけども、言われているうちはだめなのでしょう。自分的にもとてもフラストレーションを感じます。今アメリカで働くことになったら、ファンクションする自信はありません。ここでは理解があるけどもね。

ここにきて中だるみして、患者さんをちゃんと見ていないような罪悪感がある。
こんなことでは英語もうまくならず、患者もみずに一年終わってしまうね。しっかりやらないと。
明日から小児科。とにかく自分の病棟、外来の時間だけはしっかり集中しよう。
そのあとで、ゆっくり論文書けばいいもんね。

2007年5月12日土曜日

ICU!!!

Today I went to my hospital to make a handing over the patients from the previous intern of internal medicine team, A, though I am off.
Now our internal medicine team has three patients in the ICU, a sepsis, a acute renal failure on chronic one with mesenchial ischemia and a septic shock with HIV which CD4 count is less than 10!
I am so excited about that. I heard the patient's volume of this hospital was so small, but not so bad! I bet I have to wake up 2 or 3 am for the cominig 4 weeks...

2007年5月11日金曜日

家庭医療は卒業!

あっという間に4週間終わりました。
1クールめの家庭医療は終了です。
ドクターたちにも恵まれてました。本当に彼らに感謝です。
フィードバックも良い評価で自信になります。
ただもっとassertiveになれとのこと。もっとPLANについて主張しなきゃね。
そう自分が主治医だと思わないと、やはりどこかで受け身になるし、責任感がなくなります。

さあ来週からは、もっとも大変であろう内科が始まります。朝3時起床の生活です。
すでにICUに重症な患者が集まってきていて荒れています。
これから論文、TOEFLとやらなきゃいけないことが目白押しなので、すこし焦ってきます。
どれも大事なことなのでバランスをどう取ったらいいのかわかりません。
まあ、シンプルに考えれば内科の研修>論文執筆>TOEFLだよね。
もう一度、研修医をゼロからやりなおすつもりでがんばろう。

2007年5月2日水曜日

I Got It.

アメリカの医師免許ECFMGに合格しました。
医学部に入った時には夢のようなことだったけども、
4年かかって3つの試験を乗り越えてやっと取れました。
僕の人生の中ではもっともchallengingなことの一つでした。

ただこれも一つの通過点に過ぎません。
海のむこうで医者をやってみるのが夢だから。
今年はこれから就職活動です。
救命救急で行こうと思っているから、かなり厳しい闘いになりそうです。
今までは机に向かっていればできたことだけど、
これからのほうがきっと大変でストレスかかってきます。
これも楽しんでいこうと思ってます。

2007年4月28日土曜日

痛がるのは空軍?

ここにいると面白いこともあります。
ERで働いていると口の悪いDr Sなんかは空軍の悪口を言っています。

そう沖縄には何万というアメリカ軍が駐留してます。日米同盟ってやつです。
横須賀は海軍の本拠地ですが、沖縄は主に海兵隊です。
彼らによる分類では
ー海兵隊:エリートでマッチョで強い。
ー空軍;頭はいいけど、甘ったれている。大したことないのにすごく痛がってERに来る。(確かに同感!)隣の嘉手納基地にいっぱいいます。
ー海軍;その中間。僕の病院は海軍。
ー陸軍;bullet catcherと言われてすこし馬鹿にされている。沖縄にはあまりいません。
面白いものです。

でも基本的に彼らは礼儀正しいです。僕は好感を持ってます。
たまに犯罪を犯しますが(たとえば96年)、どんな国にもいいやつと悪いやつがいるものです。

わからないことに慣れて。

最近は英語がわからないことに慣れてきました。
一つの壁です。しっかり分かんないことは聞き返さなきゃいけないとわかっていても
そんなに重要でなさそうなものは適当にしてしまいます。
これは良くないかな。

やはり言葉の壁は大きい。言ってることは6割くらいしか分からない。
とくに僕に予備知識がないもの、新しい概念だと難しい。
言いたいことは1割くらいしか伝えられないし。。。
自分の知識もうまく発揮できません。歯がゆいです。
とにかくコミニケーション能力を上げることができればもっと吸収できる気がする。

今週の家庭医療ローテーションは病棟番。
この病院はそんなに入院は多くないとなめていたら、
最大11人いました。普通に働きました。
始まったばかりなので気合いを入れて5時前から一人で回診。9時に寝ます。
言葉の壁を乗り切るためにはしょうがないです。

文化の違いで戸惑うこともあるけども、基本的に医療は普遍的です。
患者さんがいて、問題がそこにあって、それを評価して、治療する。
そして患者さんを教科書にして勉強します。
日本でもアメリカでも、大学病院でも小さい海軍病院でも同じです。

そういえば今週は割礼しました。penisのforeskinを切り取るやつです。
もともとはユダヤ教の習慣のようですが、外人の男の子は皆するようです。
小児科ローテーションでは相当やらされるみたいです。
こんな手技をするなんて想像もしてなかったな。

うーんやっぱり英語うまくならなきゃな。

2007年4月23日月曜日

徒然

週末はゆっくり休めました。
この当直は6日に1回のON Callが当たりさえしなければ週末休めます。
土日連続でやすめる研修医なんてそうはいないでしょう。かなりリラックスします。
でも逆に二日空くだけで、臨床の勘、英語力は明らかに落ちるものです。
適度なリフレッシュと、その一方で自分の腕を保つバランスは難しいものです。
仕事が遊びになればいいのでしょうが、この仕事はストレスたまります。
ただアメリカ人はそんな深刻にならずに楽しそうにやってますが。

さあまた明日から新しい一日です。
違う先生と組んでやることになりそうです。気を使いますが、
とにかく一日一日を無駄にしないで、楽しく進歩したいものです。
せっかく沖縄まで来ているんだしね。

2007年4月18日水曜日

家庭医療学Ⅲ

ここのところ日記を毎日書けるほどの余裕がある。
だいたいの一日の流れは

5:30 起床
6:00 出発。車の中でpod cast, Voice of Americaを聞きながらぶつぶつしゃべる。
7:00 毎朝morning reportというインターンがやる症例のプレゼンテーション。けっこう勉強になる。
ご飯は病院の中のカフェテリア。いかにもアメリカン!!パンケーキ→ワッフル→フレンチトーストの永遠の循環。朝ごはんが一番おいしい。というか、まし。
8:00 家庭医療のクリニックで外来。基本的にまず問診、身体所見をとって、アセスメントしてattendingにプレゼンというベーシックな研修。家庭医療はいろんな患者がいて面白い。僕のアテンディングのDr Hammerは優秀だし、かなりいいやつ!
午後はそのまま外来だけど、今日はvasectomy, つまり男性の不妊手術。精管を縛ってしまいます。
米国ではかなりポピュラーみたい。文化の違いです。
時々、通訳なんかを頼まれる。とくにON CALLの日なんかは外来は診れなくなるくらい。かなり苦しい通訳だけどなんとかかんとかやります。沖縄は軍人と日本人妻のカップルが多いのです。驚くのは意外と奥さんでも英語が喋れません。それでも夫婦ができるのだから、コミニケーションにおける言語の重要性はそんなでもないのかもしれません。
16-17:00 外来は終了。すごーく早く帰れます!ただ内科・小児科なんかになると病棟もあるので、朝はもう2,3時間早く起きなきゃいけないみたい。
帰宅してからは、犬の散歩。今日見た患者さんのarticleなんかをいろいろ読みますが、あっという間に眠くなる。

さあ、明日も当直です。明けの金曜日は僕のスポンサーのDr Mickel Epperlyの小児科外来。知らない人はやっぱり緊張します。

今までのところは、少しずつだけど成長してるような気がします。こんな感じで楽しく一年を過ごせるといいなと思ってます。

2007年4月17日火曜日

USNH 家庭医療Ⅱ

Since last Monday, I am rotation on the family medicine of the camp Lester clinic.
I am glad to have a good start with this slow paced and enjoyable rotation.
These two days, I have seen a diverse variety of patients ranged from pregnants to orthopedics patients. I am not good at these area and I have not liked these, now I can really enjoy these frontier! My supervisor, Dr Hammer, is very kind and smart though he is the same age as me.
It's amazing!
Anyway, I am gradually getting used to be in English language.
I shall have fun!

2007年4月15日日曜日

家庭医療学

明日から始まる一年のローテーションは家庭医療からです。
まだ日本ではなじみはありません。
つまり、かかりつけ医。町医者の専門家です。
あっちの国ではfamily medicine言います。
ただ本当のへき地が存在するお国柄、新生児から老人まで、小さな手術もすれば分娩もします。
それから予防医学、公衆衛生に力をいれてるみたい。
日本の町医者はすこしづつこの方向へいくでしょう。
妊婦は見ないだろうけど。

大人と小児は少しは診る自信あるけども、
妊婦とか婦人科検診はno ideaです。
少しづつ学んでいこうと思います。不安は5割、期待5割というところ。
don't forget to have fun!

2007年4月12日木曜日

明日は2回めのOn call night


この写真は、日本人インターン(あと二人います)と僕らのプログラムディレクターたちです。先週の金曜日に彼らの家でのパーティーで撮った写真です。どうやら沖縄は夫婦で医師として働いている人が多いです。
さあ明日は二回めの当直。6日に一遍しか回ってこないし、基本的に0時以降は呼ばれないので、日本の当直よりははるかに楽だね。
ただやっぱり緊張はします。まあ1年始まったばかりだし、英語の環境になれることが目的だったのだから、今完璧である必要はないもんね。毎日、一回一回の当直ですこしずづ進歩すればいいもんな。あとは診断に至る過程を大事にして、それをLOGICALにプレゼンテーションできるようにしないとね。練習練習。。。。楽しまなきゃね。
英語はだいぶ聞き取れるようにはなりました。何となく言ってることはわかるし、大事な申し送りは再確認するようにしている。患者を殺すわけにはいかないから。ただ言いたいことを言えないのは辛いです。語学力をつけたいです。まあ恥はなくなっているのでめちゃくちゃにしゃべってはいるけれど。
さあがんばるぞー。

2007年4月8日日曜日

はじめての当直。

2週間経ちました。
なんとか生き残っています。

昨日はこの病院での初めてのOn Call Nightでした。
いわゆる当直というやつです。
当直自体も1年ぶりだったのだけれども、
ともかくやる前は緊張した。俺にできるのかなーって。

しかし何とかやり終えることができた。
ERでの戦力になれたようだし、診断はだいたいつけることができた。PLANは難しいけれど。
まあ、診断を当てることよりも、そこにいたる論理的思考のほうが大事なんだけどね。
今までやってきた、日本での2年間の研修はしっかり役に立ちました。
自信が少しついたよ。アテンディングのDr. Strideもいい人でよかった。
彼らの良いところは、人を褒めるところです。
時々ほんとにそう思ってるのかどうかわかりませんが、褒められれば悪い気持ちはしません。
僕も周りにたいしてそうありたいものです。

アメリカの社会は、もちろん日本もそうなのだろうけど、
同僚から、上からの評価というものを常に感じます。
それはどんなものでも建設的に評価される側を成長させようと意図していますが、
ぼくらは彼等に推薦状を書いてもらわなければいけないので、どうしても気になってしまう。
でもね、それじゃつまんないんだよね。
とにかく今やっていることを楽しんで、好きなことを一生懸命やって、
それを勝手に評価してもらえばいいんだもんね。

来週は少しゆるめだそうです。
これからも毎日少しずつ成長できればと思います。

2007年4月5日木曜日

time flies.

Time flies.
It has already past two weeks since I came this hospital.
So far I can manage to survive.
Of course, it has been difficult for me to work in the environment of English.
However I am gradually getting used to do it.

I am sometimes surprised how devoted and educational the staffs here are.
So, I am really glad to come here and work with them.
Thank you, Dr Gray, Dr Emerick, Dr Arfaa, Dr Rim, Dr Hollensbee and Dr. Murphy!

I am so sleepy now.
Good night.

2007年4月1日日曜日

おめでとう!!!!!!

Today I had really happy time with my friends. That was my best friend's wedding!!
What moved me profoundly were the strength of the bonds of their family as well as friendship.
I am blessed with awesome friends and seriously proud of them.
They are my life-long property and also always encourage me to survive this tough world.

To sum up, congratulations. Kei & Maki.
I am really looking forward to seeing you in Okinawa.

2007年3月31日土曜日

なんとか1週間を乗り切った。
なにが辛いって、毎日のwelcome party。
一人になる時間がありません。
でも我々Japanese Internsが歓迎されているということがすごく伝わってくる。
これは嬉しい。是非期待に答えたいものです。
ここで戦う語学力はまだないけれども、一年あるので、毎日すこしずつ進歩したいものです。
勿論自分の成長だけじゃなくて、僕らの存在意義である患者搬送、local hospitalsとのコミニケーションもしっかりやらなきゃです。

最近JAMAというアメリカの医学雑誌のpodcastをよく聞きます。
その締めの言葉がかっこいいので、それを拝借します。
... but, patients are always our top priority.
当然のこと。でも大変。でもこれがやりがいなんだよね。

2007年3月26日月曜日

沖縄で

These days, I've made some following discoveries here.....
1. Okinawan people have thicker faces than us.. needless to say..
2. lots Starbacks with drive-through. I've never seen those in the main land.
3. a few Yoshinoya which adapts self-service system and serves Taco-rice!
4. found a nice Okinawa soba shop near my house, which name is Udunyama Soba.

Anyway, I've been troubled with English. Even now I am studying the listening part of TOEFL after returning home.

see you then.

2007年3月25日日曜日

不安>9割

明日からオリエンテーション。
ここにアクセプトされた時は、それはそれは嬉しかったのだけど、
今は期待1割、不安9割といったところ。
いつも自信あるように見られるのですが、本当はこうなんですよね。

昨夜は現インターンの卒業パーティでした。100人以上も集まって大盛況。
この病院で日本人インターンが大事にされていることがわかります。
逆にプレッシャーですが。

まあ、これは僕にとっては超えなければいけない壁なのでしょう。
海の向こうで働くのなら、乗り越えなきゃいけない言葉と文化の壁。
そして外国人を前にすると感じる緊張感。
単なる慣れなんだろうけど。今はきっと心拍数がすこし上がってます。
英語はできなくても、楽しむ気持ちを忘れないようにね。

スタッフドクターもいろんなのがいるのでしょうが、
昨日パーティー後のカラオケに言ったドクターたちはいいやつそうです。
日本人とは明らかにツボが違うのですが、盛り上がってました。

一日一日、少しでも成長できればいいな。

2007年3月23日金曜日

Graduation!

My life of Okinawa has began!
I arrived here yesterday. This is the first time to live outside Kanagawa for me.

Today, I attended the graduation ceremony of the current interns who are working at United States Naval Hospital Okinawa where I'm gonna work since this April.

Through this ceremony, I completely lost my confidence of my English ability. I cannot believe I will there the coming year. But the reason I have decided to come here is to polish my English skills! I'll go for it!

Tomorrow, my five fellows and I gather for the first time. I hope all of us will spend a fruitful year and get on well with each other.

2007年3月5日月曜日

初雪

今期はじめて雪をみました。埃のように宙を舞っていました。
いまNEWARKにいます。
NYCではなくて。せっかく10年ぶりくらいにJFKに降りたのに紐育の摩天楼は素通りです。
Manhattanから車で30分くらいのところにいます。

明日から試験の講習を受けるのです。
今回の試験は、模擬患者を相手にして診察・問診・カルテを書くものです。
コミュニケーション能力を見るそうです。
たかが試験ですが、僕にとっては難しそうです。
最近は寝言で英語をしゃべるようになったみたいですが、やっぱり日本人は語学のハンデが大きいです。
とにかくこの試験がおわればやっとやっと、こっちの免許が取れます。
take it easy!でやります。

ここは評判どうりまったく治安が悪そうです。
1996年には全米で治安の悪さで1位になった町だそうです。
アメリカで働くなら、こんなところはいやです。すげー寒いし。。知らない街は自分をナーバスにさせます。
あまり贅沢はいえませんが。
でもこんなところに来てしまうと、
なんでアメリカで医者なんかやろうとしてるんだろう
と思ってしまうことも事実です。

とにかく、明日からがんばるぞ!

2007年2月5日月曜日

a strange fruit of capitalism.

I got up around noon
and walked with my dog (Kuma, a brown toy poodle) along the shore of Chigasaki.
nice.

I worked at a clinic for only six hours.
about twenty or thirty patients came there. not many..
so I could make time to ready for my exam when my patients're not there.

And then,my duty is going to swim a little at a sports club kept by a sake brewery of Chigasaki.
a gym kept by a sake brewery. a strange fruits of capitalism.
but swimming really makes my backache better.
It works more and more better than acupunctures or my western medicine did for me.

After that, sitting up all night, like a high schooler.
Writing diary is my breather.
an owl's life.

a night owl

I'm a night owl and usually burn the midnight oil
since I have my board exam on the end of this month.
It is one of the USMLEs, "United States Medical Licence Examination".
400 Qs/ Nine hours!! I'm gonna be exhausted completely..

And on 12 March, there is one more.
This is simulations of clinical encounter held in LA.
Of course, patients are professional American actors and actresses there.
That's why I decided to write my diary in English.
a bit stupid exercise.

Anyway, after succeeding these exams, I become a lawfully certified doctor of states.

go for it.

2007年2月3日土曜日

not over

throughout my junior high, high and my college years, i've retained dreams at that time.
yes, rugby and ice hockey.
each dream came to an end.
but everything we did haven't come to nothing.
i've gotten life-long property.

it is a movie "kid's return" that i love. a film directed by Takeshi kitano.
a guy said "we've not over" after finishing their match.

NO, i've not over. yet.
hey, go for my dream. stick to it.

enjoy studying for the board exams of the states and my future.