2008年3月29日土曜日

引っ越しと不安

沖縄の家も引き払いました。1年間なんてあっというま。

とはいってもあと1週間は基地内にいなきゃいけません。というのも、契約がまだ切れていないし、来年度のインターンの先生方に引き継ぎがあります。

というわけで、病院の当直部屋に住むことにしました。狭いしプライベートもありゃしないけど、共同シャワー、トイレと学生のような気分で気楽に住みます。

去年の今頃が思い出されます。あの時は新しい生活に不安だらけでした。久しぶりの臨床大丈夫かな?とか、英語わかんないとかね。すぐになれたけれども。そして今は、6月から始まるアメリカでの本物の研修に緊張しています。また不安だらけ。なれないシステム、ほんとに日本人のいない職場、英語ができなきゃもう誰も相手にしてくれない。。。人間は環境の変化には足がすくむものですね。

でもやればできるはず。去年の今頃と同じです。一歩踏み出して、背伸びすれば、自分も伸びるのです。そんなすばらしい環境に入ることのできる幸運に感謝。

Bostonでの新生活まであと2か月。
バイトをしてお金を稼ぎ、楽しく勉強して知識をBrush upし、英語を何とかしなきゃいけないね。もう周りに英語のある環境ではありません。コンスタントに毎日勉強できる環境を作ります。

2008年3月22日土曜日

ついに卒業

今日、USNHの卒業パーティーが終わりました。ぼくらインターンの一年もこれで締めくくりです。多くの先生方が来てくれて、最高に盛り上がって、すごく感動しました。まあ最後の1か月は仕事はそっちのけで卒業式に集中していたからね。
この写真はぼくらインターン(二人抜けていますが)と今年のBest Teacher AwardをとったDr. Alseidiという素晴らしい先生です。彼はぼくのロールモデルの一人。この人も言っていました。「医学ってのは本当に面白いんだよ。決して終わりがないし。こんな素晴らしい職業はないんだよ。そしてつねに病態生理を、そしてシンプルに学びなさい」と。この人は僕の一つの目標です。
今日のパーティーでとても多くの人たちに祝福されました。仲間のインターン、ディレクターのDr. G、仲良しのDr. M, Bostonのきっかけを作ってくれたDr. C そして多くの人たち。すこしずつBostonに行くことの実感がわいてきました。ありがとう。でもね、逆に心配になってしまいます。本当にやっていけるのかなと。Dr. Mも「ものすごく、ものすごく辛いことがある。日本人というだけで辛いことに会うことがあるかもしれない。でもね、Never give up」と言ってくれました。
ベストを尽くせば、誰かは見ていて、そして仕事は認められるはずです。自分の良心にさえ従っていればいいんだよ。とにかく、一年間のすばらしい海軍病院生活、もう戻れないのがさみしいです。ありがとうございました。

2008年3月21日金曜日

行き先決定!!

本年7月からの働く場所が決まりました。例のお見合いの結果が本日早朝3時に出ました。実は寝過ごしてしまいました。

そう、第一希望のBostonのプログラムに行ける事になりました。
アメリカの救急に入り込むこと、夢のプログラムに行ける事。本当に夢のようですが、とにかく、これまで時分のわがままを支えてくれた家族、友人、病院の上司、同僚そんな方々に感謝です。自分ひとりではとてもじゃないけどここまで来ることはできませんでした。

さあここからが勝負ですね。きっと辛いことがいっぱい有るんだと思います。まずはBostonで4年間一生懸命努力したいと思います。

ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
コウヘイ

2008年3月20日木曜日

卒業式

今日は卒業式でした。Time flies. 光陰矢のごとし、というやつだね。
でも本当にいい一年でした。

卒業式も緊張してしまって楽しみきれることができたかはわかりません。嬉しいことがいくつかありました。

ひとつはDr. Mのすばらしい卒業の式辞。今年は日本人ゲストに頼まず、6年間僕たちの面倒を見てくれた彼に頼みました。禁忌スレスレの挨拶でお偉いさんをヒヤヒヤさせていたけど素晴らしかった。僕の大好きなSteve JobsやChurchllを引用していました。有名な"Stay hungry. Stay foolish" "Never give up. Never give up. Never give up"です。来年からアメリカでの仕事。きっと落ち込むことが多々あるでしょう。でもこれを胸に頑張っていきたいね。

次は僕らのプログラムディレクターのDr. Gの挨拶。彼女日本語は全然だめなはずなのに、なんと日本語でやったのです。すごくすごく練習したんだね。僕らにはわかります。ありがとう。

一番うれしかったのは、僕のMentorであるDr. Sからのプレゼント。めちゃめちゃ重いものを担いでいるので何かと思いました。くれたのは救急医学の教科書。Rosen3分冊です。救急レジデンシーに入った僕への先輩からの餞なんだね。ありがとう。しかも救急の神様Rosenから僕への直筆メッセージ入り(どうやって入手したんだろう)。でももっと感動したのは彼からのメッセージ。僕はきっと彼の後を追っているのでしょう。認め合う同僚として、彼の人生経験(失敗)も含めて、家族を大事にしなさい、という素晴らしい言葉をいただけました。

素晴らしい仲間と素晴らしい上司に恵まれた、本当に運のいい一年。今ここに、こうあることを感謝です。

2008年3月19日水曜日

明日が卒業式

マッチングの結果からひと夜あけました。

でもまだまだ実感がありません。迫る卒業式とパーティーの準備に追われ、そっちが気になってしまいます。明日が卒業式。去年はじめて飛び込んだ卒業式から、はや一年。あの時は英語が全然分かんなくってビビってました。

いろんなことがありました。時々辛いこともあり、相変わらずダメな自分を叱咤し(きれてないけど)、でも、多くのすばらしい出会いと、その人たちと素晴らしい時間を過ごし、すこし成長できたとも思えます。

渡米決定のニュースに友人からおめでとうの電話、メールがありました。ありがとう。
どこに行くことになろうが、未来への一歩を踏み出したことに感謝しなきゃねと、ある親友に言われました。本当にそうだよね。

今まで多くの人たちが、夢を追っかける僕をさまざまな形で応援してくれました。
古くからの友人、同期のインターン、海軍病院のスタッフ、そして家族。
ここまで来ることができたのは皆のおかげです。
この場を借りて感謝します。

ありがとう。

2008年3月18日火曜日

アメリカ行き決定

深夜2時の発表です。NY時間の正午なのでしょうがありません。
とにかくどこかのプログラムに行ける事になったようです。これを目指してがんばってきたんだね。医学部5年のときからだから6年越しの夢がかなったことになるんだね。

今は残念ながら実感がまったくありません。卒業式の準備で疲れきっています。。
ひとまず今は寝て、明日喜びを噛み締めます。

行き先決定は木曜日深夜3時の発表です。こっちが本番。あまり感動的な文章にならない自分が残念です。

2008年3月17日月曜日

いよいよマッチ

毎日卒業式の準備で夜なべ。かなり良いものに仕上がってきました。

そして今日深夜2時、マッチングが発表です。
今日はマッチングしたかどうかのみ。どこに行くかは金曜日の早朝3時です。
マッチはしたと思います。でも結果を見るのはすこし胸が高鳴りますね。来年は太平洋の向こう?
もし今日落ちていたら、スクランブルという敗者復活戦に入ります。アメリカでは救急は人気なので空きのプログラムは全体の1%以下。こうなると絶望的だね。

でも今日は当直。家には帰りません。ひとりPCを空けてonlineの発表を見ます。その瞬間を誰ともシェアできないのは少し悲しいけどね。

もうすこし。

2008年3月16日日曜日

空母Essexに乗った!!




お宝映像が出てきました。実際に乗ったのは6月くらいだったと思います。


これは海兵隊の空母Essexです。4000人くらいのれるヘリコプターと垂直離発着戦闘機の空母です。なかにはでっかい病院もあるということで遠足したのです。甲板だって200mくらいあります。


こんなすばらしい遠足ができるだけでもこの病院に来た甲斐があったかもしれません。ミーハーです。


アメリカの海軍の医者になると、アフガンやクウェートに行かなければいけないこともありますが、空母に乗ったり、ダイビング特殊部隊に入れたりと、けっこう楽しそうです。

卒業式の準備

で毎日夜なべです。

もう最後の2週間くらいはローテションはさぼっています。 感謝の意味をこめて好いものにしたいですからね。

今年のインターン6人はとてもチームワークが取れているので、仕事もはかどります。今のところは順調。

とはいって4日しかありません。これからは徹夜覚悟ですね。30にもなって学園祭の準備みたいです。

右の写真は僕のmentor、Dr. Sです。ビデオ撮影のためにかつらをかぶっています。でも結構はげてます。。。僕は彼に会えてラッキーでした。一生ものの師弟関係だと思います。変な人ですが気が合います。彼がいなければ今年の就職活動はここまでこれませんでした。

金曜日はラッキーなことに彼のレクチャーが、僕らの最終講義となりました。最後に渡米する前に覚えておかなければいけないことを、彼特有の方法で教わりました。彼はかなりのエリートですが、みんな人生いろいろあるのです。

これからもよろしくJoel!!

新しい医学会?

のようなものを立ち上げました。

うちのDr. Mを中心に。ぼくらインターンは裏方さん。

うちの病院から米国人医師20人くらい、沖縄の病院から日本人の医師を25人。しっかり人も集まり、けっこう盛り上がって大成功。来てくれた先生からもお礼のメールなどもきて、やったかいがありました。これで病院間の関係がよくなるといいですね。


場所は海兵隊が所有するゴルフ場。こんなものがあるなんて沖縄に来るまでしりませんでした。彼らは何でも持っています。
あとは卒業式だけ。もう終わっちゃうんだなー。

2008年3月12日水曜日

ER

明日はこの病院最後のER当番。

僕は救急志望だし、とても楽しく働きました。ここの人たちが一番好きですし、ここが居場所という感じです。きっとこの一年で60回くらいは当直しているはずです。患者も結構見ましたし、とてもいい勉強になりました。離れるのはさみしいですね。この写真にはDr. Obieと看護婦のJulieです。そんなに教育的ではないですが、めちゃめちゃlaid-backで気が合います。

2008年3月5日水曜日

落ち着かない

ここ最近、こころが落ち着きません。
まあ僕はいつも昂揚の時期と少しうつを繰り返す癖がありますけど。

原因はなんだろう?

1.マッチングの結果
どこかに行けるだろうとは思いつつも、どこに行けるかということがわからないと、人間やっぱり落ち着きません。とくに行きたい所から微妙な返事があると特にです。でもいくら僕が悶々としてもこれは力が及ぶことではありません。考えるのはやめて自分の力が及ぶことに力を注ぐべきだよね。

2.Okinawan American Physician Societyの立ち上げ
Dr.Mのヘルプをインターンと力を合わせてやっています。僕は事務の裏方さんだけど、おかげさまで人も集まりました。もう一息だね。このままの調子でいけばいい感じかな。医学ではない、negotiationの勉強になります。沖縄にきてからこんなことばっかりやってるような。。。とにかく、みんなの協力のおかげでうまくいってるね。

3.卒業式・卒業パーティーの準備
これがおおごとです。人もかなり集めますし、期待されています。プレッシャーです。仲間のみんなもすごく頑張っています。でも僕はちゃんとリーダーやれているのでしょうか。そう思えません。
なんかすぐ口を出してしまいます。もっと任せて、でも誰もやらない裏方の仕事はやってじゃないとね。そして大きな視点を失わずに。
期待の大きさのあまりに(そう思っているだけ??)、面白くしようとするばかりに、大事なことを見失っているような、そんな気がします。ただ面白くするようにするならば、できの悪いテレビ番組と同じようになってしまいます。その場だけの、嘘で心のこもっていないものに。いっぱいお客さんは招きますが、このパーティーは何が目的なのでしょうか。
1.僕らの卒業を祝うため。
2.一年間お世話になった人たちに来てもらって、お礼を言うためです。
面白くして、いじることもある意味お礼です。でもこの二つを見失いたくないですね。そしてあと2週間。インターンの仲間たちと準備を楽しみたいと思います。