2008年1月29日火曜日

長かった。

ついに終えました。この日を指折り数えていました。でもやっと来たね。

ほんとうにほんとうに長かった。孤独で、自信を失いそうに何度もなって、思い通りにいかないことばかり。同じことを壊れたスピーカーのように繰り返しても、理解してもらえないことばかり。そんな日々でした。もう2度と経験したくありません。

でも、本当に沢山の人にあって、幾人かのこれぞという人に感動し、とてもいい勉強をしたと思います。こんな辛い日々でしたが、なぜかやれるだろうという自信と、この国で挑戦してみたいという気持ちになりました。

戦績
面接 16か所
費やした日にち 55日
泊まったHotelの数 17か所
乗った飛行機の回数 21回
お金 いっぱい
出会ったDr 約100人
握手した回数 300回くらい
失敗した回数 countless
くじけそうになったこと countless
本物の人との出会い 5人
嬉しかったこと 数回

でもBestをつくしたとも思います。ここでやれることはやりました。
結果がでるのは3月21日。

そして新たなスタートです。

2008年1月28日月曜日

最終面接

これからです。

昨夜は病院のとってくれたホテルに一泊。デトロイトの中心地にある素晴らしいホテルでした。この病院はレジデントをとることに力をいれているのかもしれません。

今日は自動車王Henry Fordのつくった病院です。救急では歴史が古く名門のようです。面接に呼んでくれたのだから、失礼のないように力をつくすつもりです。今更、自分を無理に理解してもらおうとは思いませんが、せっかくのチャンスです。どんな人たちとどんな話ができるのか、楽しみにしていきます。

そうこれで最後。ながいながい旅ももう少しで終わりです。
3ピリの最後まで、集中します。

2008年1月27日日曜日

Pittsburgh

に来ています。紐育から車で6時間。
かつては鉄鋼で栄えた町。いまはビジネスと大学の町になっています。
聞こえはいいですが、山の中にある中程度の都会。治安はいいけど、とにかく寒い。
肌ががびがびになって痛くなりました。うまれて始めてローションを買ってつけてみました。

ここもピッツバーグ大という医学では有名なところがあります。面接呼ばれなかったし、まあここにはちょっと住めないね。よしとします。

今日は溜めていたThank you letterを一気に書きました。合計57通。疲れました。でも第一志望のところは少し気合いをいれて、念をこめて。あとは天まかせですね。結果が出るのは3月20日、僕らの卒業式の日です。それまではまんじりともしないですね。

これから海軍の同僚とここで落ち合います。夕飯でも食いますか。
早速シカゴで飛行機に遅れたようです。彼は沖永良部島生まれのアイランダー。いっぱい失敗しますけど、本当に憎めないやつです。愛すべき人ですね。彼はここで4週間ほどエクスターンをするようです。きっと大変だろうけど、頑張れ!

明日は車で大移動。五大湖のほとりのデトロイト。ヘンリー・フォードさんのつくった病院と面接です。さああと3回寝れば帰れます。長いなー。

2008年1月26日土曜日

終わりと始まり。

そういえば今日は誕生日。
30歳になってしまったんですね。一人で外国でほどほどに忙しくしているとまったく実感がありません。
わざわざ電話・メールしてくれた方々ありがとう。

人生もう30年過ぎてしまった。はやいものです。ばりばりやれるのはもう半分しかありません。まあ死ぬまでやりますが。いつ死ぬかもわかりませんから、一日一日自分の好きなことを貫きたいですね。それをできる自分、環境もつくっていかないと。

この20代は、僕にとって何だったのでしょうか。何も変わっていないような、成長したような。
大学で進路に悩み、就職活動をせずに勉強して医学部にはいりなおし、そして研修医。そこからさらに夢をあきらめきれずに海軍、米国への挑戦です。よくも落ち着かずにきたものです。振り返ってみると、よく頑張ったような、でももっとやれたことはいっぱいあったし、馬鹿な失敗もしたし、もっと成長できたとも思う。相変わらず自分に弱いし。これからの改善点ですね。ただ20代ずっと自分のために追い求めてきた海外への夢はきっとすぐそこにまできています。

30代前半は米国で勝負するつもりです。いい加減に腰をここで落ち着けて、異国の救急を、医療をゼロから学びたいと思います。きっといっぱい失敗して、日本に帰りたくなることも多々あり、でもたまにいいこともあり、結果すごくいい経験をすると思っています。そして終えてからが新たな僕の挑戦ですね。3年から6年米国で学んだことを、日本で活かせる道を探したいと思います。これはものすごく、ものすごく大変なことでしょう。できないかもしれません。でも、Boys, Be Ambicious! 夢はいつまでもでっかく、日本と世界をよいものにしたいですね。

30代もhungryに行きます。でもここで出会った幾人かの素晴らしい人々たちのように、夢をでっかく。自分のためだけではなくね。

2008年1月25日金曜日

SUNY。一喜一憂。

BrooklynのこれまたひなびたHotelの一室です。
ここのフロントは分厚いガラスで守られています。ここらへんの治安をうかがわせる悪い兆候です。
パトカーのサイレンもよく聞こえてきます。

ニューヨーク州立大との面接が終わりました。
結果は大成功、だと思います。これほどの手ごたえは初めてでした。正直いって、プログラムディレクターは僕を取ろうとしていたと思います。ぼくのゴールにとても興味を示してくれたようです。自分からプログラムを売り込み、僕にこんなふうに協力できるという感じ。ここまでなのは初めてなので単純に嬉しくなってしまいました。

このプログラムは忙しいそうです。貧困層、医療保険なし、銃、麻薬、不法移民、アメリカの影を背負う病院です。ただ臨床のプログラムとしては最高の立地です。さらにプログラムディレクターは臨床だけではなく、将来の研究、リーダーシップという人材を求め、育てたいようです。非常に情熱的な人でした。今までに出会ったすばらしいディレクターのうちの一人に数えられますね。

NYというのは非常に魅力的です。しかし病院の近所にはとても住めません。考えどころです。でも自分のゴールに共感してくれる人がいるのは、嬉しいことです。こんなプログラムで一生懸命働きたいですね。ただ、I want to work with you next yearとまでは言えませんでした。つい慎重になってしまいます。

少し流れが変わってきたかもしれません。嬉しいです。贅沢なことに悩ましくもあります。
一昨日のマサチューセッツ総合病院からも、一部のスタッフからいい返事が返ってきました。非常に人気のあるところなので、まったくどうなるかはわかりませんが、ここは素晴らしいプログラムでした。ここは第一希望です。
また11月にうけたGrand Rapidsというミシガン州の小さい町のプログラムからは、非公式な打診が来てしまいました。嬉しいことです。プログラムはしっかりしていましたし、ホッケーするなら完璧な立地。しかし僕の妻が耐えられないと思います。低いところにランクしていただけに、考えてしまいます。どう返事したら良いものか。ただ嘘はつかないつもりです。なかなかうまくはいきません。

いつの間にかに贅沢になってしまっていますね。しっかりしたトレーニングを受けられるだけで幸せです。謙虚さは忘れてはいけませんね。

明日はピッツバーグへ。海軍の同僚と落ち合うつもりです。
そして犯罪率トップクラスのデトロイトへ。最後の面接です。あと一息!!

2008年1月24日木曜日

Yale

14個終わりました。今日は途中でほんとにくたくたになりました。
周りの医学生も同様みたい。

Yaleは感触はかなりイマイチでした。一人のディレクターとはかなりウマが会いましたが、他はどうかわかりません。(これまでのところ波長があったのはMayo, Maryland, MGH/BWHくらいでしょうか。ほかはけっこうダメだったような。。。)International Emergency Medicineや研究に強いプログラムなのでそこが魅力です。ただ、New Havenという立地だけがネックです。NYから1時間ちょっとですが、でも田舎。治安もよくありません。すでにインターンとして日本人のA先生が働いています。お会いすることはできませんでしたが、電話で率直な話を聞くことができました。僕のなかではMGHが一番ですが、ここも良さそうです。そうとう贅沢ですけどね。

そして今夜は紐育Blooklynにやってきました。明日はニューヨーク州立大学との面接。かなりの野戦病院のようです。このホテルの周りも夜はとても歩ける感じではありません。明日の病院は外傷・中毒があふれているでしょう。とても病院の周りには住めませんが、鍛えられることは間違いなし。ただ僕の求めるものは単なる臨床トレーニングだけではありません。研究やfaculty developmentなどのプラスαを持つプログラムを求めています。どれだけあるか見てます。

さああと二か所。ともに危険な場所なのでキャンセルしたくなる気持ちもありますが、疲れ果てているのは皆一緒です。折角の機会ですから楽しみます。

2008年1月23日水曜日

I shall return, Boston.

New Havenのひなびたホテルで書いています。
BostonとNYの中間にある小さい町。大学しかなさそうです。

今日はMass Generalを終えてきました。
本当に呼ばれて良かった。土壇場になって呼ばれましたが、とてもいいプログラムでした。
スタッフの人たちが素晴らしかったです。ハーバードだけにもっとスノビッシュなのかと思っていましたが、皆気さくで気取りません。しかし柔らかい物腰のなかにも、強い知的好奇心と、若手を育てようという熱意をみました。やはりこの国の本当にできる人は桁が違うんだよね。Mayo, Harvardは世界を良いものにするという使命を本気で持っています。ただ同じ大学でも先週に行ったBeth Israel Deaconessは全然違います。

とにかく非常にいいインタビューでした。僕が来たことをとても歓迎してくれましたし、僕の目標をよく理解してくれました。僕の求めるものがここにあります。こんな病院で働くことができれば僕はハッピーになれると感じました。Bostonは美しい街だしね。まあ全米でもっともCompetitiveなプログラムですから、外人が入り込むのはかなり厳しいでしょうけど、なんとなく手ごたえを感じて、今日はとても気分が良いです。ここしばらく面接が上手くいかずに自信を失っていましたが、簡単に自信を取り戻してしまいました。こんなんだからだめなのですね。 とにかくいろいろな人の援助と、見えない力のおかげでここまで来れたと感じています。一人でここまではこれません。ありがとう。

そして、またこの病院に戻ってくると心に誓って、Bostonを発ちました。
さあ、明日はYaleです。どんなスタッフと会えるかが楽しみです。さああと3つ。楽しみたいと思います。

2008年1月21日月曜日

3ピリの前に、

面接旅行も終盤戦にかかってきました。あと4つ。4分の1です。

これは今までの人生の中での最大の挑戦です。

いままでもRugby, Ice Hockey, 医者になること、いろんな事がありました。どれも頑張ったと思います。ただこれは少し違います。自分から逃げないできた結果です。


医学部3年のとき岡本太郎の本を読み、決めたのです。(いまでもこれは僕のバイブル。面接旅行のいまも傍らに置いています)逃げないで自分を克服しよう、自分の心の羅針盤に従おうと決めて、ここまで来た気がします。僕は彼の「芸術は爆発だ」という有名な言葉を自分なりに理解しています。芸術とは生きること、爆発とは生きる中でいのちを燃やすこと、と。



英語から逃げて一生を送ろうと思っていました。いつかは世界を舞台に働きたいという気持ちを心の奥底に押し込めていたのです。でも本当にやりたいことをやることに決めました。アイスホッケーと同じようにアツくなれることをしたかったのです。自分のいのちの灯が消えていくことが許せなかったのです。米国という舞台で(なんでそこなの?ということは難しいです。でもそう思わせてしまうのが、この国のすごいところです)、好きな救急という分野で、アツく戦いたかったのです。そう、心の底から日本の医療のために行く!というわけではありません。これをしなければ後悔するからするからです。もし今普通に日本で働いていたら、鏡を見て思うでしょう、「これが自分のしたかったことなのか?」と。教授とかに、「そんなんでアメリカ行ってもね。昔もそんな人たくさんいたけど、日本の医療は変わらなかった」とか言われても、これは僕の人生だから。あなたの人生を生きるわけにはいきません。そんな暇はないのです。



来年渡米できるかもわかりません。行けたとしてもどこで働くのかも。アメリカから帰ってきてからはどうなるのか。救急を専門にしますと言うとみんな怪訝な顔をします。「格好はいいけど、それって専門?」みたいな感じです。奥さんには悪いけどいつまでも波乱万丈です。歩いている人のまばらなけもの道ですが、歩きたい道ですから。



ただ日本に帰ったら、日本の救急医療に恩返しをしたいと思います。この面接旅行はそれを考えるいいきっかけとなりました。自分の心の声に耳を澄ませること。仲間を作ること。素晴らしい人・プログラムとの出会いもありました。あるプログラムは本気で救急のリーダーを育てることを目標にしています。僕もそのような人と働き、背伸びして、すこしでも近づけたらと思います。いままで支えてくれた家族・友人、自分を育ててくれた医師・患者さん、亡くなったMのため、そして自分のためにね。

さて3月20日に結果が出ます。でもそれは二の次です。勿論すばらしいプログラムに入れればそれもいいです。そんなことは僕の人生にとってはちっぽけなことのはずです。そんなことでハクがついてしまうほど、僕の人生そんな卑しくありません。岡本太郎も言っています。「人間にとっての成功とは、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか」なのです。まだ1週間ありますので、まだ少し努力をします。



3ピリで残り時間が少なくても、負けていても、最後まであきらめません。これは昔からの僕のポリシーです。大事なのは試合に勝つことよりも、最後まであきらめないで、希望を捨てないで、戦うことなのです。そこに価値があります。


まだ試合は終わっちゃいません。俺はこんなものじゃない。

Boston --> NYC --> Boston

Bostonで3泊。久しぶりにゆっくりです。
隣町のCambridgeのハーバード大学などを見てきました。かんぜんにお上りさん。
ここはアメリカというよりもヨーロッパ。川もあり、美しい街です。ここに来年住めたらいいな。
もしだめでも、いつかはここに来るという目標ができました。

奥さんをJFKに送るために紐育へ。一泊だけする。やはりここは段違いで忙しい町です。
歩く人も足早です。

そしてまたBostonに戻ってきました。肌をさすような寒さです。
先週の雪もまだ残り、街を彩っています。今はLongwoodという閑静な住宅街にとまっています。
Harvardの医学部関連の集まる場所、そこで働く人が住んでいるような感じです。

今週は3個の面接。
火曜:マサチューセッツ・ジェネラルホスピタル
水曜:イエール
木曜:ニューヨーク州立大
と連チャンです。でも慣れました。移動も少ないし、そんなに負担ではない気がします。

もう少しです。がんばろう。

2008年1月20日日曜日

べス・イスラエル・ダーコネス病院, and CHIN UP!!

が終わりました。ここはハーバード大学系列です。
よく自分が面接に呼ばれたものです。それだけでもすごいことです。
プログラム自体は非常にアカデミック。臨床もそんなにはわるくはありません。
まあ8割がたのプログラムは臨床のトレーニングとしては大差はありません。
違いは、場所、研究の強さなどできまります。なのでとても忙しいくてトレーニングになるといっても、場所が悪いところは少しきがひけます。まあ贅沢は言えませんが。
今回のプログラムは、場所は最高(ボストンは好きです、寒いけど)、アカデミックにもかなり強いです。ここは第1希望かなー。でも、面接はいままででもっともイマイチ。最初の面接でかなり躓きました。非常にいい面接をされてしまいました。自分のぼろが出た感じ。
自分について深く考えること、用意することを怠っていたと今はおもいます。情けないことです。準備不足だったと思います。


これで16個の面接のうち4分の3をおえたことになります。あと4個もうひとふんばり。
なんか最近面接の手ごたえが全然ありません。興味をもってくる相手が少ないようなきがします。
気にしすぎかもしれません。最近はbe myselfにこだわりすぎて準備不足でした。しっかり準備した上で、自信を持って自分を出さなきゃです。


まあ3ピリといったかんじです。少し点差があるかもしれませんが、このままでは終わるわけにはいきません。自分はこんなもんではない。最後まであきらめません。Chin Up!!

2008年1月16日水曜日

Penn終了。そしてBostonへ。

今日はペンシルバニア大学病院との面接でした。
結論から言うと、手ごたえなしです。
今までで一番うまくいかなかった気がします。

何回か気を取りなおそうとしたのですが、上手くいきませんでした。リズムというか波長というか、そういうものが合いませんでした。このプログラムがどんな人をとりたいのかというのもいまいちわかりませんでした。それも一因かもしれません。レジデンシー自体は名門大学の割にはlaid-back。でも方向性が見えません。アカデミックなのか、レジデントのハッピーさを追求しているのか?面接がうまくいかなかったこともあって、僕から見たプログラムの印象も良くありません。まあ場所と雰囲気は素晴らしいので、とってくれるならば勿論行きます。ロゴもかっこいいしね。でも脈なしかな。。。

さあ明日はおそらく第一志望となるところです。
Phillyを起って、Providenceへ。そこから一時間のドライブでやっとこのBostonにつきました。町は雪化粧していてとてもきれいです。明日はBeth Israel Deaconessという病院です。House of Godという小説の舞台にもなった病院。ハーバードの付属です。ここはアカデミック、international emergency medicineの強い病院。僕の求めるものがここにありそうです。きっと相手も僕のような人材が欲しいと信じています。まあここまでやれることはやってきました。小細工は関係ありません。気合いで自分を出すだけですね。

2008年1月15日火曜日

またまたPhilly

今回は大学町にあるHiltonに宿をとりました。すこし贅沢です。
ペン大が持っているらしく、とてもシックです。

Ivy Leagueの名門だけに、キャンパスもとてもきれい。歴史を感じます。アメリカというよりヨーロッパみたいな感じです。それから、学生町だけに結構おいしいアジア料理が多いです。
こんなところで勉強・仕事できたらいいですね。

明日はここと面接です。
自信をもってぶつかります。小手先ではなくて人間力で(あると信じて)勝負です。
Be confident and be enthusiastic!!

摩天楼

ここも2カ月ぶりです。

奥さんが今日から旅行に参加です。JFKでさっそく白タクに捕まったようです。本当にお人好しです。
ホテルはアッパーウエストにあるホテル。おしゃれにしていますが少し狭い。まあこれがマンハッタンなんだよね。

翌日はCentral Parkで散歩。犬がいっぱいです。来年はここでうちのくーまを散歩、できたらいいですね。夜はBroadwayでMusical。完全におのぼりさんです。Rentというトニー賞をいくつもとったものを見たのですが、大失敗でした。これはいけてません。

次はPhillyにトンボがえり。ペン大との面接です。

Jefferson

Phillyの中心にある学校です。
とてもきれいな病院を持ち、患者さんも富裕層が多いそうです。

まあ面接はいつもどうりです。プログラムディレクターが最近変わったそうです。その前は少し問題があったような話しぶりでした。患者さんの数は少なそうですが、彼はとてもいい人。トップにランクする気にはなりませんが、場所もいいから働いてもいいかなというプログラムです。

15分の面接を5人と。15分なんか本当にあっという間。アピールするのも大変です。
しかし結局、30分もすれば何を話したかなんか何も覚えちゃいません。あの人はいい人だったなとかそういうことしか残りません。
そう僕にやれることはいかに印象を残すかです。何をしゃべるかではありません。自分にオーラがあると信じて、アツくいくだけですね。

そういえばインターンも待ち時間にやってきました。あまり話を聞かなかったのが反省点。勿論彼も僕らを評価しているのですから。
自分も周りの学生もそろそろ面接に疲れてきたようです。みんな少しテンションが低い。こんなことではだめだね。テンション低くしては楽しくないし、僕はまだ6つもあります。

面接が終わってからは、すぐにグレイハウンドバスに乗ってNYに。

2008年1月11日金曜日

僕とメジャーリーグ

戻ってきました。やっぱりこの街は親しみがあります。ホームって感じ。
今日は中心街に宿をとりました。11月に働いたところとは全然雰囲気が違います。
古いアメリカの町です。とても素敵です。Penn大学のあたり歴史の重みがあるんだよね。
僕はこの町が好きです。

相変わらず人気のないけもの道です。でも歩きたい道です。変なストレスいっぱいですが、やりたいことやっているのです。そう僕の海外留学の夢は、おそらく英語にたいするコンプレックス、太平洋の彼方の幻想(根拠のない)から始まりました。今は教育に良い環境?を求めるということよりも、まったく違う環境で、腕一本、心意気一本でどこまで行けるかというチャレンジです。あと1年の命と言われたら、まずこれだけはやらなきゃいけません。(胸を張って日本の医療のためだ!とは言えません)まるで野球選手が大リーグに行くみたいですね。僕はまだまだそんなにすごくはないけれども。。。そう日米の野球はどっちが素晴らしいとかではないはずです(ポイントポイントの良し悪しはあっても)。たしかに違いはあります。どちらでトレーニングしても良い選手になれるはずです。ただし、世界中から頭脳の集まってくるこの国で真剣勝負で揉まれることは、絶対に素晴らしい経験になるはずです。


何年この国にいるかはわかりませんが(もうマッチする気でいます。。)が、結果として日本に帰って、日本の医療をよくしたいと思います。こんな変な経験もどこかで役に立たせることができるはずです。なんていってもこれまで僕を育ててくれた人・友人の恩返しに、そして亡くした友人と患者さんのためにも。これはぼくにとっての北極星みたいなものですね。


さあ明日はホテルからすぐ先のJefferson大学との面接です。これからいわゆる一流どころ(ハーバードX2、イエール、ペン大、ヘンリー・フォード)が続きます。

でもね、やることは変わらないはずです。
そりゃあ日本でも名がとおるところならハクもつきますが、教授を目指しているわけでもありません(医局というシステムで働けるほど我慢の出来るほどのじぶんではありませんしね)。どこにいってもベストを尽くすだけです。結局は、人間力と、どんなところでも努力してトレーニングを積むことが大事です。ヤンキースとかレッドソックスでプレーするのもかっこいいけど、ロッキーズで頑張った松井はすごいですからね。いつも通りの自分を出して(面接は小手先のテクニックではありません。人間と人間のぶつかり合いです)、自分と家族がHappyになれるような相性のいいプログラムを探すだけのことです。

いろいろな街を訪れて、たくさんの見知らぬ人に会って、ストレスで腹痛くなって、いっぱい失敗して、そんな贅沢な時間をあと3週間過ごせます。
人気のなくて、デコボコだらけで、先もみえない道ですが、自分の選んだ道です。後悔はありません。ずーと先の北極星は見失わないように、そして近づけるように歩きます。

2008年1月10日木曜日

アトランタの夜

といっても、ただ時差ボケで眠れないだけです。朝3時ですが、目がさえています。

今日はアトランタの中心地(結構危険みたい)にあるEmory大学のプログラムに行ってきました。とにかく評判どうりの忙しい!Crazyな病院です。いいトレーニングにはなりそうだけども、働くのはストレスフルな気がします。システムは古いし、狭いし、臭うし、患者はあふれかえっています。通路までベッドでいっぱいです。これぞアメリカのERって感じ。いろいろな問題を抱え込んでいます。でも研修医として鍛えられることは間違いなしでしょう。またアトランタは都会なので住むには悪くないです。

明日はNew Orleansに飛ぶ予定でしたが、新たな面接(なんとMass General!)が入ったので、急遽キャンセル。折角呼んでくれたのをドタキャンするのはやっぱり申し訳ないです。でもNew Orleansはね、家族で住みにはちょっとって思います。

明日はまたPhillyに行くことになりました。知ってる町は心強いですね。

2008年1月9日水曜日

アトランタ

オーランドの面接が終わりました。
いつもいつも行く前は緊張します。やってしまえばどうってことないのですが。
ひさしぶりの面接でしたが、まあ要領は同じです。でももっともっとアピールしなきゃかな。
オーランドは住むには良さそうなところでした。天候はまさに沖縄。病院もきれいだし、レジデント、スタッフともにフレンドリー。家族で働くならば、まあOKだね。

面接後、すぐアトランタへ。
明日はEmory大学のプログラムです。
アトランタのダウンタウン、治安が悪いところにある病院です。アメリカ有数の野戦病院だそうです。ここで働くことになれば外傷・中毒、めちゃめちゃ鍛えられるでしょう。
面接が楽しみです。

明日終われば一日の休みです。頑張ります

2008年1月8日火曜日

Orlando

那覇→羽田→成田→NY→やっとOrlandoにつきました。
さすがにくたくた。明日面接ですがまったくやる気が出ません。

さすがフロリダ。ここはあったかいです。沖縄とおんなじです。
ディズニーワールドとかで有名ですが、僕は24時間以内の滞在。
またまた面接だけです。Orlando Regional Medical Centerというところ。
1月の面接シリーズの一発目。アップと思っていきます。

体力的にはかなり厳しい旅行ですが、まあこれも試練だと思っていくしかありません。
あとになってみればいい思い出になるかな。
プレッシャーは逃げても逃げてもかかってきますから、ポジティブに楽しみたいと思います。
面接はやってみれば意外と楽しいものだとおもいこんでね。

2008年1月2日水曜日

要領

2007年、
いろいろな変化が自分にあった年でした。
異文化で働いた経験、幾つかのいい出会い。
医者という意味でのトレーニングは勿論勉強になりました。それ以上にチーム・人を動かすことと、折衝、医療の裏方さんのことを学んだと思います。英語はまだまだです。。。

もうすぐ30歳になりますが、いつまでも青いことを言います。
ここ近年、他人のことに感動して涙腺がうるむこともありますが(年とともにゆるくなっている?)、自分のことでうれし涙、悔し涙を流すことがことがなくなっています。学生時代のアツさはどこに行ってしまったのでしょう。ここ近年で一番それに近かったのは、沖縄で働けると決まった時かな。
いまやっている職業に不満はありません。医者をやめることは絶対にありません。遣り甲斐もあります。ここ一年で履歴書に書くことがとても増えてきたことも確かです。いい経験をいっぱい積んでいる証です。ただ、涙を流すほどそこまで一生懸命やっているかな?こんなそこそこ楽しく幸せな生活でいいのかな。要領のよさが逆に仇となっています。こんな人生でいいのかな。こころがさび付いちゃうよ。

今年まずは3月20日のマッチデーが一つの山場。夢であったアメリカでのトレーニングが決まります。hungryにfoolishに追い求めたものです。でもゴールではもちろんありません。
そしてもし行くことができるのならば、また医者組織の底辺から再スタートです。そこで一人一人の患者さんに全力を尽くしていきたいです。そこが僕らの存在意義。いつもJAMAという米国のジャーナルの言葉を考えます。"Patients are always our top priority." 反省です。

また、僕の尊敬する幾人かの医師は言います。医者は心の中にいつまでも光り続ける患者さんとのやり取りがあるといいます。だからあんなに働けるんです。
僕にはそんな経験はかろうじて一人あるかないかです(0.1人くらいかな)。主治医だったM先生にはとてもとてもかないません。99%の熱傷。あの時は一生懸命でした。僕が他の病院に移った後、生きて退院したそうです。信じられないほどの医療スタッフの努力・医療費・患者さんの頑張りです。あれは奇跡です。ぼくはまだまだ修行が足りません。

自分の良心に正直に、誠実に。心を込めて。謙虚でいること。国境を問わず求められる人はこうですし、自分を満足させる方法もこれです。