少し考えてみようかと思います。たまにはね。とてもとても個人的なことです。
いま歩いている道を確かめてみないと、「僕は本当にこの道を歩きたくて、あそこに行きたいんです」っていえません。自分を偽れません。
僕はもう医師4年目です。もうすぐ30歳になります。言い訳のできないほど大人のはずです。いい加減中堅の医師として、結構何でも出来て、責任もあって、忙しく(楽しく?)働いているはずです。ところが、それほどの実力があるとも思いません。臨床能力を磨くようなしっかりしたトレーニングからは少し離れています。
なんで、わざわざアメリカに行ってトレーニングを受けるのでしょう。わざわざ別の試験受けて、大量の時間とお金とまわりの人の理解に助けてもらって。仕事しないで、英語の面接受けて、こんなことに神経使って。大部分の人から見たら、「無駄」ってやつです。時々、僕もそう思ってしまいます。逆に贅沢とも言えますが。
「こんな道を歩く」一番の大きな理由。正直言って、英語に対するコンプレックスがあったからだと思います。中学から大学まで英語から逃げて生きてきました。一生英語を使わずに生きようと思ってました。でもコンプレックスでした。どこかでこんな自分に克ちたかったのです。英語をペラペラにしゃべっている自分(昔はふつうに旅行ができて、友人としゃべれるくらいのレベルを想像してました。)になりたかったのです。そして医学部に入り、なんかアメリカはいいらしい。アメリカのトレーニングは日本よりもずっといい!なんていう、どこに根拠があるのかわからない噂?他人の評価?を信じました。何も知らなかったからね。始まりはこんなことだったのです。海の彼方の幻想です。はっきりいって日本で研修を受けたって立派な医者になれます。そんな素晴らしい先生をいっぱい知ってます。結局は自分次第なのです。教育的な環境は確かに大事。でも患者さんはどこにでもいます。そこで全力を尽くすか、ちゃんと勉強するかは自分次第なのです。(実はこの考え方が、非常に日本的ともいえますが。アメリカのトレーニングは、どんな「自分」でもちゃんとした医者にするという哲学です。)
こんな思いはいつの間にかに、やらなければいけないことになりました。これをせずには臨終のときに後悔する!という最大のことになったのです。つまり、自分のためにチャレンジをする、ということです。偉い先生にこんなことを話すと「なんだ、結局アメリカ行きたいからだけ?」って言われます。声高らかに「日本の救急のためです!」っていえません。でもね、これは個人的な、僕の人生なんだよね。僕が決めることです。「こんな道」を歩いて、自分がどこに行くかはわかりません。来年本当にアメリカ行けるのかもわかりません。ただ「こんな道」だけど、これは自分が歩きたい道なんです。歩くべき道ではありません。どこに行くかは次に書きます。
「こんな道のさきには」何が待ってるのでしょう。僕は救急(北米型)を選びました。これは日本ではある意味ニッチです。とくに北米型救急は、日本ではまだまだ始まったばかりです。これからは紆余曲折ありながら、日本の医療のダイナミックな流れのなかに揺られながら、ゆっくり普及していくでしょう。現在までの日本型救急と共存しながら。ぼくがアメリカで3年から6年のトレーニングを受けるということ、そして日本に帰ること。その経験をいかせば(日本で頑張っていたってできますが、変わった奴からの経験もなんかの役に立つかもしれません。)、日本の救急になんらかのインパクトを与えることができるかもしれません。微力ながらも力になれるかもしれません。偉くなって教授とかになるつもりもありません。一人のお医者さんで(僕の父と祖父がそうである、そうであったように。基礎研究というぼくにとっての未開拓分野もどこかでやってみたいですが!)、若い人を教えながら、患者さんの役に立ったらと思います。いままでいろいろな先輩にお世話になってきたし、患者さんからも学んできました。その義理を返したいです。(必要があるわけではありません)
ただ、自分の経験を活かせて活躍できるような場所を戦略的に考えていかなければいけません。
「大山は仰ぐべく、大道は行くべし」
スタート地点は自分本位、歩いている道はけもの道ですが、少なくとも大山を仰ぎながら、歩きたいと思います。
真面目なこと書いて疲れました。でもすこしすっきりしました。またがんばろう!
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