2008年1月21日月曜日

3ピリの前に、

面接旅行も終盤戦にかかってきました。あと4つ。4分の1です。

これは今までの人生の中での最大の挑戦です。

いままでもRugby, Ice Hockey, 医者になること、いろんな事がありました。どれも頑張ったと思います。ただこれは少し違います。自分から逃げないできた結果です。


医学部3年のとき岡本太郎の本を読み、決めたのです。(いまでもこれは僕のバイブル。面接旅行のいまも傍らに置いています)逃げないで自分を克服しよう、自分の心の羅針盤に従おうと決めて、ここまで来た気がします。僕は彼の「芸術は爆発だ」という有名な言葉を自分なりに理解しています。芸術とは生きること、爆発とは生きる中でいのちを燃やすこと、と。



英語から逃げて一生を送ろうと思っていました。いつかは世界を舞台に働きたいという気持ちを心の奥底に押し込めていたのです。でも本当にやりたいことをやることに決めました。アイスホッケーと同じようにアツくなれることをしたかったのです。自分のいのちの灯が消えていくことが許せなかったのです。米国という舞台で(なんでそこなの?ということは難しいです。でもそう思わせてしまうのが、この国のすごいところです)、好きな救急という分野で、アツく戦いたかったのです。そう、心の底から日本の医療のために行く!というわけではありません。これをしなければ後悔するからするからです。もし今普通に日本で働いていたら、鏡を見て思うでしょう、「これが自分のしたかったことなのか?」と。教授とかに、「そんなんでアメリカ行ってもね。昔もそんな人たくさんいたけど、日本の医療は変わらなかった」とか言われても、これは僕の人生だから。あなたの人生を生きるわけにはいきません。そんな暇はないのです。



来年渡米できるかもわかりません。行けたとしてもどこで働くのかも。アメリカから帰ってきてからはどうなるのか。救急を専門にしますと言うとみんな怪訝な顔をします。「格好はいいけど、それって専門?」みたいな感じです。奥さんには悪いけどいつまでも波乱万丈です。歩いている人のまばらなけもの道ですが、歩きたい道ですから。



ただ日本に帰ったら、日本の救急医療に恩返しをしたいと思います。この面接旅行はそれを考えるいいきっかけとなりました。自分の心の声に耳を澄ませること。仲間を作ること。素晴らしい人・プログラムとの出会いもありました。あるプログラムは本気で救急のリーダーを育てることを目標にしています。僕もそのような人と働き、背伸びして、すこしでも近づけたらと思います。いままで支えてくれた家族・友人、自分を育ててくれた医師・患者さん、亡くなったMのため、そして自分のためにね。

さて3月20日に結果が出ます。でもそれは二の次です。勿論すばらしいプログラムに入れればそれもいいです。そんなことは僕の人生にとってはちっぽけなことのはずです。そんなことでハクがついてしまうほど、僕の人生そんな卑しくありません。岡本太郎も言っています。「人間にとっての成功とは、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか」なのです。まだ1週間ありますので、まだ少し努力をします。



3ピリで残り時間が少なくても、負けていても、最後まであきらめません。これは昔からの僕のポリシーです。大事なのは試合に勝つことよりも、最後まであきらめないで、希望を捨てないで、戦うことなのです。そこに価値があります。


まだ試合は終わっちゃいません。俺はこんなものじゃない。

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